ストーカーになる原因(その3)

カテゴリー「日常に潜む恐怖」

※このお話は「ストーカーになる原因(その2)」の続きです。

吉村の一件以降、菜美は知らない男に対して強い警戒感を示すようになった。
これだけ無理して我慢してたのはもし俺が襲ったら、菜美の男性恐怖症はさらに酷くなると思ったからだ。

俺が菜美の家に通い始めてから1週間ぐらいした頃、菜美の家に俺の歯ブラシを置いた。
歯を磨いた後、菜美は俺の歯ブラシを見ながら「私たちって、変な関係だよねー。普通、家に男の人の歯ブラシ置くのって、普通に付き合ってるってだけじゃなくて、相当深く付き合ってる場合だけだよね?でも、俺男君の歯ブラシはここにあるのに、私たち付き合ってもいないんだよ?」と言った。

返す言葉がなく無言でいる俺に、菜美は言葉を続けた。

菜美:「ごめんね。俺男君。私がもっと魅力的で、変なトラブルに巻き込まれるような女じゃなかったら俺男君も、もう少し楽しかったんだろうね」

空元気に笑う菜美が無性に可愛く見えた。

本当は、この件が全部片付いた後、俺から菜美に告るはずだった。
だけど俺は予定を繰り上げて、その日に菜美に告って、その日に菜美を抱いた。

俺としては、菜美を傷つけないために我慢してたのにな。
だけど、俺が菜美を抱かないことが逆に菜美を傷つけてるとは思わなかった。
女って、難しいな。

行為が終わって、俺がすぐに服を着ようとしたら菜美に止められた。

菜美:「もう少し、このままこうしてよう?」

何も着ていない菜美は、何も着ていない俺に抱きついてきた。

俺:「ちょっとだけだぞ。襲撃に備えて服は着ておかなきゃだから」

菜美:「もういいよ今日は。今日だったら、このまま死んじゃってもいいや」

俺:「何でだよ?今日が俺たちのスタートの日なんだぞ。スタート直後にゲームオーバーって、ださくない?」

菜美:「ああ、そっか。今日が始まりの日なんだ。」

俺:「そう。今日がミッション・コンプリートじゃない。今日が始まりだ」

菜美:「うん。そだね。これからよろしくね」

そう言いながら菜美は俺にキスをしてきて、二回戦が始まった。

菜美の家に来る街金とドア越しに話すのは俺がやった。
警察にも相談したけど、民事不介入ってことで取り合ってくれなかった。

街金とのやり取りは大体こんな感じ。

街金:「山田さん、あなた吉村君の金使っていい思いしたんでしょ?いい思いしたんだったら、その分のお金は払わないと。それが世の中ってもんだよ。世の中なめてると、怪我じゃすまねえよ(ここだけドスの効いた怒鳴り声)」

俺:「山田が吉村と付き合った事実はありません」

街金:「でも、債務整理の相談したとき乗ってきたんでしょ?まるで無関係の女が、どうしてそんな相談の場に来るの?そんなやついねえだろ?」

俺:「あれは、大学進学の借金と勘違いしたからです」

街金:「吉村君も、山田さんが払うべきだって言ってるよ。一度は、山田さんの涙に騙されて自分が払うって言ったんだけどね。やっぱり、山田さん。相当、吉村君のこと泣かせたんだろうね。最近になって、やっぱり山田さんと二人で払うって言い出したよ。まあ、自業自得だと思って、まずはこのドア開けてくれないかなあ」

俺:「そもそも二人は付き合ってませんし、ドアは開けることはできません。
お帰りください」

街金:「てめえに言ってんじゃねえんだよ(いきなり怒鳴り声)。俺は山田さんに言ってんだよ。オイコラ。山田さん出せや」

俺:「山田の代わりに僕が伺います」

街金:「てめえは日本語わかんねえのか?コラ(怒鳴り声)早く出せや。いい加減にせんかいコラ」

街金が来ると、こういう冷や汗ものの会話が最低20分ぐらい。
長いときは2時間以上も続きます。

街金の追い込みはさすがにきつかった。
さすがにもう、嵐が過ぎるのをただ耐えるだけなんて不可能だ。
何とか打開策を見つけなくてはならない。
だが、肝心の吉村とは、まるで話にならない。
それどころか、会えば命の危険さえある。

俺は吉村の実家に行って親と交渉することを考えた。
ゲットした吉村の実家の住所に行き、吉村の両親を訪ねた。
ちょうど両親ともに在宅で、俺は吉村の実家に招き入れれた

家に入って驚いた。
廊下の壁のあちこちが穴だらけだった。
ちょうど壁パンチをしたような跡がたくさんあった。
リビングに通されたが、リビングの電気の傘も割れたままで交換されていない。
壁も穴だらけだ。

ちょうど吉村の両親が二人ともいたので二人に話を聞いてもらった。

俺の要求は
・無関係の菜美に借金を払わせないでほしい。
・菜美が怖がっているので、もう吉村を近づけないようにしてほしい。
・吉村を一日も早く精神科に通わせてほしい。
というものだった。

借金について「吉村はもう成人しているので、親の関知するところではない」

菜美に近づかないようにという依頼に対しては「一応言ってみるが、最終的には本人が決めること。保証はできない」

精神科に通わせてほしいとお願いしたんだが、これがまずかった。
母親は突然「ふざけんじゃねえよ。うちの子は精神病か?はあ?てめえが精神病だろうが?」と急にスイッチが入ったかのように下品な口調で怒鳴り散らし始めた。

さっきまでは普通のオバサンだったのに、急にこの口調ですよ(゜Д゜)
母親は、リビングの壁などを蹴りまくり、俺の顔に湯のみを投げつけた。

父親:「俺男君、もう今日は帰りなさい」

呆然とする俺に、父親は静かな声で助け舟を出した。

簡単に一礼して、俺は玄関に向かった。
玄関で靴を履いていると、母親は俺に塩を投げつけ、そのままブツブツ独り言を言いながら奥に消えていった。

父親は玄関の外まで俺を見送ってくれ

父親:「すまなかった」

そう最後に一言、深く頭を下げて謝った

帰る道すがら、俺は絶望で心が真っ暗だった。
唯一の希望だった吉村親もおかしな人で、まるで話にならない。
吉村はダメ、吉村親もダメなら、もう交渉相手がいないじゃないか。

それでも俺は希望を捨ててはダメだと思い、一度家に帰って、その日のうちに病院に行った。
湯飲みをぶつけられたときに口を切ったんだが、病院で診断書をとれば、後で何かの役に立つかもと思って。

この頃になると、俺も菜美もさすがに精神的に限界近かった。
特に菜美は酷かった。
街金が来たとき家にいたりすると過呼吸になったりしてた。
俺も菜美も、夜中に悲鳴を上げて飛び起きることが増えた。

その頃の俺は、歩道橋などからふと下を見ると、いつの間にか「飛び降りたらどうなるか」なんてことを考えていたりした。
自分の危険な思考に気付くと、慌ててその考えを否定した。
そんな感じの状態だった。

仕方なく俺は、父に全てを話して助力を要請した。

父:「なんだ。最近、家にいないと思ったら、そんなことしてたのか?まあ、いい勉強だ」

切迫してる俺とは対照的に、話を聞いた父親の態度はのん気なものだった。

父は、のん気な口調とは裏腹にしっかりした対処をしてくれた。
父の経営する会社の顧問弁護士を俺に紹介してくれた。

弁護士に相談してからは、話が早かった。
街金の取り立ては、相談してから3日後ぐらいにピタリと止んだ。
弁護士は、菜美の債務不存在確認と債務を片代わりする気がない旨、これ以上取り立てるなら、恐喝で告訴する用意がある旨などを書いた手紙を弁護士名義の内容証明郵便で送った。

たったこれだけで、あれほどしつこかった街金は全く現れなくなった。
あまりに簡単に片付きすぎたので、俺は、実は父が俺に隠れて、裏で人に言えないようなことをしたんじゃないかと疑ったぐらいだ。

街金の取り立てがピタリと止んだことを電話で弁護士に伝え、お礼を言った。

弁護士:「吉村和夫のストーカーの件は、来週ぐらいから始めます」

そう弁護士は言った。

だが、弁護士の手続開始を待たずして事件が起こった。
夕方、俺と菜美が菜美の家の近くのスーパーで買い物をして帰る途中、突然、目の前に吉村が現れた。

突然、俺たちの前に立ちふさがった吉村は、俺を無言のまま睨み続けた。
菜美は怯えてしまい、ガタガタ震えながら俺の腕に抱きついてきた。
俺も足の震えが止まらなかった。
俺たちは、その場から動けなくなってしまった。

吉村:「おまええがあああ、菜美を騙したんだあああ」

吉村はうなるような大声でそう言いながら、バックから包丁を取り出した。
目は完全に、人の目じゃなかった。
情けない話だが、俺はビビッて声も出なかった。

菜美:「ちょっと落ち着いて。話をしよう?ね?」

吉村に話しかけたのは、意外にも俺にしがみ付いて震えてる菜美だった。

吉村:「菜美。俺のこと覚えてるか?俺だよ、俺」

菜美:「あ、うん。吉村君だよね。憶えてるよ」

吉村:「ありがとう。うれしいよ。やっぱりお前は、俺を見捨てられないんだな」

菜美:「見捨てるとか、見捨てないとか、そんな話した憶えないよ」

吉村、しばらく号泣。

吉村:「菜美。お前はその男に騙されてるんだよ。今俺が助けてやるからな」

菜美:「ちょっと待ってね。二人で話そうか」

そう言うと菜美は俺の耳元に口を近づけて小声で「逃げて。お願い。私なら大丈夫だから」と言った。

俺:「出来るわけないだろ」

菜美:「お願い。二人無事にすむのはこれしかないの。私は大丈夫。今度は、私が俺男守るから。」

俺:「・・・・・・じゃあ俺は、2mほど後ろに下がる。いいか。吉村との、この距離を保て。この距離なら、万が一にも俺が対処できる。」

菜美:「分かった」

俺は少し後ろに下がった。
驚くほど冷静な菜美の言葉を聞いて、体の震えが止まった。

今、自分が何をしなければならないかが、はっきり分かった。

「私が俺男守るから」と言う言葉を聞いて刃物の前に飛び出す決心が固まった。
最悪の場合、俺は全力で菜美を守る。

菜美と吉村が話している最中、騒ぎを見に来た40代ぐらいの男性と目が合った。
俺は声を出さずに「けいさつ」と口だけを動かした。
見物人の中年男性は、うなずいて渦中の場所から小走りに離れて行き50mほど先で電話してくれた。

その間も吉村は「俺たちは結ばれるんだよ」とか「お前は俺を酷い男だと思ってると思うけど、それは違う。おまえはこの男に騙されてるんだよ。こいつが、あることないこと吹き込んでるだけだから」とか「結婚しよう。将来は生活保護もらって、お前を幸せにするよ」とか、聞くに耐えない話を延々と続けていた。
菜美は適当に話を合わせて、吉村の会話に付き合っていた。

それにしても、何なんだ吉村は。
以前も訳が分からないやつだったけど、今は前以上だ。
支離滅裂で会話にさえなってない。

それにここは、確かに商店街ほど人通りは多くないが人通りが少ない場所じゃない。
俺たちは、なるべく人通りの多いところを歩くようにしてたけど、それにしても、よく使う道でもっと人気のない場所なんていくらでもある。

一体、何考えてんだ?

子供連れのお母さんなどは、刃物を持って大声出してる吉村に気付いて大慌てて逃げて行く。

吉村が菜美に近づこうとしたときは少しあせったが、菜美が「まだそこで待ってて。まだ二人が近づくには早いの」と言ったら、吉村は近づくのを止めた。

すごいと思った。

この短時間で、菜美は支離滅裂な吉村の話に上手く合わせていた。

しばらくして、8人ぐらいの警官が来た。
パトカーから降りると、警官たちは手際よく吉村を包囲した。

「刃物を捨てなさい」

警官の一人が穏やかで、しかし厳しい声で言った。

吉村は、警官は認識できるようで、オロオロ周り警官を見渡しながら八方の警官に順に刃物を向けた。

菜美:「吉村君、まずは包丁地面に置こうか。吉村君、何か悪いことした?もし、しちゃってたらもうダメだけど、してないなら捕まらないよ」

菜美は元気よく明るい声でそう言った。
吉村の注意がまた菜美だけに向かう。

菜美:「吉村君、死にたくないでしょ。早く置かないと、鉄砲で撃たれちゃうよ」

吉村は笑顔で包丁を捨てた。
不気味な、人間とは思えない笑顔だった。

吉村が包丁を捨てると、警官がドバっと吉村に襲い掛かって吉村は地面に組み伏された。
俺と菜美は、泣きながら抱き合って喜んだ。

その後、吉村の父親がうちに謝罪に来た。
うちの両親は、二度と俺や俺の家に近づかせないようにと、それだけを固く約束させた。
母親は、一度も謝罪には来ていない。

予想通り、精神鑑定で見事に病気判定されたので刑事上、吉村は無罪だった。
俺たちは、損害賠償が請求できるだけだった。
民事の席で吉村の父親と会ったとき父親に吉村の入院先と主治医を聞いた。

俺は予約を取って、その主治医に会って来た。
主治医に、吉村の言動が前からおかしく事件になる前からのおかしかった言動があったことなどについて説明した。

吉村も、なりたくてああなったんじゃないと思ったから、吉村の治療の助けになればと思ったからだ。

主治医は一通り俺の話を聞いてくれ「貴重な情報ありがとうございます。治療の参考になります」と言った。
吉村の病名について聞いたが、それは教えてくれなかった。

しかし主治医は「もちろん、吉村さんが統合失調症とは申し上げませんが」と前置きした上で、一般論として統合失調症という病気は相手の思考が読めるとか、自分の思考が相手に通じるなどという妄想を生むことがありまた前世や赤い糸などの妄想を強く信じたりすることもあり、妄想を否定されると怒ったりするらしい。

統合失調症を発症すると支離滅裂になるのかと聞いたら、そういう症状が出ることもあるとのことだった。

親がおかしいと子どもが統合失調症になるのかと聞いたらはっきり分かっていないが遺伝と環境の両方の要因が作用して発症するとのことだった。
つまり、遺伝だけではなく、そういう素質を持った人がストレスの強い環境におかれると発症しやすいらしい。

その話を聞いて、吉村の母親がすぐに思い当たった。
結局、吉村も、病的にヒステリーな母親というストレスの強い環境におかれて発症してしまった被害者の一人なのかと思った。

今はもう、菜美との同棲は止めている。
婚前に一緒に住むことに対して、うちの母親が難色を示したからだ。
みんなに祝福されるような付き合いをして、みんなに祝福される結婚をしようというのが、俺と菜美の出した結論だ。

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