人間はいずれ死ぬのだから

カテゴリー「日常に潜む恐怖」

自分の命が終わりそうな状態で意識がはっきりしている時の恐怖というのは、恐ろしく、心細く、悲しいという事を知りました。

勿論、人それぞれ生死観は違うでしょうが、私は気が小さい人間で、自分の命の蝋燭が消えてしまう、火がどんどん小さくなる事を実感するのは堪らなく恐怖でした。

前置きが長くなりました。

深夜、原因不明の体調不良で、外に出歩けないほど気分が悪くなったんです。
一人暮らしで、引っ越して間もない土地で、薬局や病院の場所もわからず、体の具合はどんどん悪くなり、救急車を呼ぶという行動をとりました。
その時点でかなり体調は悪く、会社を一日休んだ状態だったのですが、”救急車が到着するまで間に合わなかったらどうしよう”という、小心者特有の考えが頭に浮かんでしまい、焦りで動機は早くなり、呼吸はし辛くなり、誰かに声をかけ続けて欲しいという・・・迷惑な想いが頭に浮かび、這って玄関を出、そこでへたり込んでしまいました。

そこに運良く深夜のコンビニ帰りの同じ階の方が通りかかり、私は恥ずかしげも無く、「救急車が来るまでお喋りしていただけませんか」というような事を言いました。

自分が大事だったので恥ずかしいとか考えられませんでした。
その方は、優しく「大丈夫、大丈夫」と言ってくれて、救急隊員が来るまで声をかけ続けてくれました。
本当に感謝しました。

救急車が到着し、隊員の方に誘導されて車に乗り込みました。
その時はまだ、保険証を手に取ったり、ドアの鍵をかける事は出来る状態でした。
車の中では、受け入れ先の病院が決まらない状態で、その間にどんどん体調が悪化してゆきました。

全身の筋肉がゆるみ、寒さが襲ってきて、寒いのに脂汗がだらだらと、顔を流れるほど噴出してきて、生きる為の力が残り少ないんだという事を勝手に想像して、生活も希望が持てない状態で、人生にも自分なりの答えが出せていないのに、救急車の中で私の人生は終わるんだと思うと、ものすごい恐怖でした。

残りの時間で何が出来るのか、何を考えられるのか、死んだらこの思考も止まるのか、癌患者でも、もっと覚悟する時間はあるんだろうななどと、不謹慎な事も色々考えました。

受け入れ先の病院が決まった時点で救急車は走り出し、私の命のために赤信号をバンバンとばしていきました。

その時点で私は、全身がしびれ、体の筋肉には力が入らず、感覚は説明が難しいのですが、体はゴムの塊のように感じられ、心臓と頭の中に残ったかすかな力が体をもたせている感覚でした。

後で聞いたところでは、小心者の私は弱音を吐きまくっていたらしいです。

人生の大一番で無様な私でした。

「不安がとれない、恐怖がとれない、(生きる)力を戻すにはどうすればいいですか?」、と繰り返していたらしいです。

おじさん隊員が、「死ぬって言える奴は死なねえよ!しっかりせんか!」というような台詞で励ましてくれていたのは覚えています。

結局助かったのですが、原因はすい臓の機能不全と風邪でした。

体の中にインシュリンが大量に出ていて、低血糖状態で、普通はそれで死ぬなんて事はないですが、血糖が足りず弱った状態で風邪に体が負けそうになっていて、気を緩めたら危なかったかもしれないと言われました。

今回は助かりましたが、人間はいずれ死ぬのだから、その時は、自分の死を慌てず怖がらず受け止めたいです。

その為に、死の際に思い返せる幸せな体験を沢山したいと思いました。
私は並外れて気弱なので、他の人はもっと楽観的に受け止められるかと思いますが、私の人生で一番怖い経験だったので、ここに書かせて頂きました。

終わりです。
長々と失礼しました。

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