去年の夏に、俺は目の手術で入院していた。
その時相部屋だったバアさんが、洒落にならんぐらい怖かった。
俺が入院していた2週間、バアさんには誰一人面会が来なかった。
病室に来たのは息子夫婦だけ、それも入院初日の1度だけだったらしい。
バアさんはそれをすごく怒っていて、俺によく愚痴をもらした。
しかし、俺のところには、友人だの親戚だのが心配してぞろぞろと来てくれる。
バアさんにはそれがおもしろくなかったのか、それともやっかんだのか、「うちの子は薄情だねぇ」ぐらいだったバアさんの愚痴は、たった2週間で、予想を超えてどんどんエスカレートしてしまった。
バアさん:「あたしが死んだら怨霊になって、もうみん~っな、殺すわ、殺すんじゃ」
バアさん:「○○も、○○も、○○も、○○も、みん~な殺すんじゃ」(○○は人の名前、息子や親戚の名前だと思う)
バアさん:「子供もみんな殺しちゃる、見たやつみん~っな、殺すっ、あかんぼもじゃ」
バアさん:「どうやって殺しちゃろか、ヒヒッ、ヒッヒッ」
特に印象が強かったのだけ挙げるとこれぐらい。
これには看護婦も手を焼いていた。
優しく諭すのだが、バアさんは「てめーも呪うからな!さっさと行けッ!」と逆ギレ。
看護婦も、主任やら担当やらが数名がかりでも全然ダメだったし、ここには書けないぐらい酷い言葉を終始怒鳴り散らしていた。
そして、多分病院側が呼んだんだろう、息子夫婦とおぼしき中年カップルが来た。
「母さん、あんまり人に迷惑かけちゃだめだよ」などと言っているからきっと息子だろう。
カーテンで仕切ってしまって見えなかったが、バアさんはとても静かだった。
しかし、バアさんの『発作』は、その日の夜が一番ひどかった。
夜何時か分からないが、真夜中であったのは確かだと思う。
隣のベッドからの声で俺は目が覚めた。
バアさん:「うぅ~~~~うぅ~~~~、に~~く~~い~」
バアさん:「こ~ろ~し~て~や~る~」
そんな風にうなされる様につぶやくバアさんの声。
俺は暗い病室に響く呪いの言葉に恐ろしい思いをしながら、『忘れろ、早く寝ちまえ』と自分に言い聞かせながら、耳をふさいで目をつぶっていた。
その時、何かふと違和感を感じたんだ。
恐る恐る薄目を開けたら、俺のベッドのカーテンを少しだけ開けて俺を覗き込む、バアさんのひんむいて丸々とした目玉が見えた。
すんっげぇ見てる、俺を・・・。
首をひょこひょこと動かしながら、俺の様子を伺ってる。
冗談じゃない、怖すぎる・・・。
「○○ぅ~」
俺の名前じゃなく、恐らく息子の名前を呼ぶ。
違います、俺は○○じゃないですよ!
飛び起きてそう言いたかったけど、怖くて出来ない。
バアさん:「○○ぅ~、にくいいい」
バアさんがしくしくと泣く。
頼むから俺を見ながら泣かないでくれ、怖い・・・。
バアさん:「○○ぅ~、おめさん、死ぬぞぉ~」
怒っているのだろうか、声が震えている。
その後バアさんは、息子への悪口を俺に向かってしこたま吐き出すと、自分のベッドに戻り、ゴニョゴニョ言ったあとに、何か小さいモノを数個カーテンに向かってぽすっ、ぽすっと投げつけ、静かになってグーグー寝ちまった。
ちょうどこの明くる日が俺の退院日だった。
入院生活の最後の最後に、もっとも恐ろしい目に遭った。
とりあえず、俺はこれを最後にバアさんの呪縛から助かったのだが、俺が居なくなったので、きっと別の患者が何らかの被害にあってるだろうと思う。
そして最後に、バアさんが俺のベッドのカーテンに投げつけたものが、歯であることが退院する時に分かった。
バアさんの口元は血だらけ、カーテンの下には黄ばんだ細い歯が数個・・・。
もう絶対に入院なんかゴメンだと思った。