私は元陸上自衛官で、関東にある某普通科連隊にいました。
残念ながら私が体験した話ではなく、在隊時にMという上官から聞いた話を書きます。
本題に入る前に、陸上自衛隊の演習場について説明します。(興味無い方、すみません)
陸上自衛隊には全国各地に演習場があり、関東甲信越の部隊がよく訓練に利用するのが『富士演習場』です。
ここは総合火力演習なども行われるので、民間の方でも行った事がある人がいると思います。
富士演習場は、静岡県側の『東富士演習場』と山梨県側の『北富士演習場』の2箇所に分かれており、今回の話の舞台は東富士演習場です。
この演習場の歴史は古く、明治時代に作られたそうで、演習場内にも固有の地名があり、正規の地図にはちゃんと地名が記載されています。
古い地名が多く(中には戦後付けられたのもある)、今の時代では変に思える地名がたくさんありました。
さて、ここから本題に入ります。
そのたくさんの変な地名の中に、『砲兵森』という場所があります。(今でもありますし、正式な地名であり、俗称等ではありません)
私にこの話をしてくれた上官が、新隊員の頃に初めての野営訓練をした宿営地が、この砲兵森でした。
その時の野営訓練は3日間で、詳しい訓練内容は聞きませんでしたが、初日の夜に夜間歩哨の訓練を行ったそうです。
2名ずつ交代で夜間歩哨に立ち、深夜2時になって当時新隊員だったM上官(以後M新隊員)達の番になり、
班長に夜間歩哨につく旨を申告して前任者と交代しました。
その日の夜は雲ひとつ無い、怖いくらい奇麗な月夜で、眼前に広がるのは月明かりで青白く染まったススキの平原で、後方には宿営地のある真っ暗な森がありました。
2人でタコツボに入り、小銃を腰だめに構えて警戒をしていました。
演習とはいえ、いつ敵役の教官達が襲ってくるかわからないので、緊張して警戒していました。
しばらくすると、後方から誰かが歩いてくる音がかすかに聞こえ、M新隊員達は「敵の斥候か?」と一瞬ドキッとしたものの、どうも足音は後ろから近づいてくるようなので、味方の伝令だなと思い、緊張していた気持ちが緩んだのです。
しかし、歩哨は常に敵方(自分の前方)を監視していなければならないので、後ろを振り向かずきちんと任務を遂行していると、足音がすぐ後ろまで迫ってきました。
そしてその足音が、M新隊員達のいるタコツボのすぐ後ろでピタリと止まったのです。
M新隊員は「ははーん、班長が俺達がちゃんとやってるか様子を見に来たんだな」と思ったのだそうです。
となりの同期もそう思ったのか、しっかり前方を監視していたそうです。
しかし、タコツボのすぐ後ろにいるものは、話しかけてくるわけでもなく、まったく動かないのです。
さすがにM新隊員はおかしいと思いましたが、もし班長だったら振り向いたら怒られるんじゃないかと思い、なかなか振り向けずにいると、隣の同期がどうやら好奇心に負けたらしく、後ろを振り向いてしまったのです。
その瞬間、隣の同期がガクガクと震えだし、小銃や装具がガチャガチャ鳴りはじめ、やっぱりおかしいとM新隊員も後ろを振り向くと、そこには『明治時代の軍服を来た兵隊』が不動の姿勢で立っていたのです。
一瞬、何かの冗談かと思ったのも束の間、月夜で青白く照らされたその兵隊の顔を見て、目が合った瞬間に、『この世のものじゃない!』と確信したそうです。(彼が言うには、言葉ではうまく説明できないが、葬式などで遺体を見たときの、なんとも言えない気持ちになる顔、だそうです)
兵隊と目が合ったまま恐怖で動けないでいると、突然兵隊が大声で「砲兵第○○大隊の陣地はどこでありますか!!」と聞いてきたそうです。
M新隊員達は恐怖で答えられずにいると、その兵隊は、「砲兵第○○大隊の陣地はどこでありますか!!」「砲兵第○○大隊の陣地はどこでありますか!!」「砲兵第○○大隊の陣地はどこでありますか!!」と、何度も何度も壊れたプレイヤーのように聞いてきたそうです。
M新隊員が目が合ったまま恐怖で動けずにいると、隣の同期がいきなり無言で走って宿営地のほうへ逃げてしまい、M新隊員が一人取り残されてしまいました。
とっさにヤバイ!と思って、M新隊員もその兵隊の横をすり抜け宿営地へ走って逃げました。
後ろではまだ「砲兵第○○大隊の陣地はどこでありますか!!」と言う兵隊の声が聞こえてきます。
そして腰が抜けそうな、かくかくとした駆け足で宿営地に着くと、そのまま班長達のいる天幕(テント)へ走りこみました。
いきなり飛び込んできたM新隊員に班長は当然に、「何をしている!持ち場はどうした!」と怒鳴りつけました。
M新隊員はカチカチと歯を鳴らし、涙を流しながらも、今までの状況をすべて班長に報告しながら、やっぱり、あそこにもう一度行って来いって言われるんだろうな、と思ったそうです。
ところが、意外なことに班長はこの報告をあっさりと納得し、「わかった、自分の天幕に帰ってもう寝ろ!」と一言だけ言うと、外へ出てどこかへ行ってしまったそうです。
天幕内にいたこの騒ぎで起きだした他の班長達も、なぜかみんなM新隊員を同情するような顔をして、黙ってまた寝てしまったそうです。
この反応にちょっと肩透かしをくらったようになりましたが、もうあそこに行くのは絶対に嫌だったので、素直に自分の班の天幕に戻ることにしました。
とぼとぼと自分の天幕へ戻っている途中で、先に逃げた同期の事を思い出しました。
俺より先に逃げたのにどこにいったんだろう?迷子になったのか?と考えていると、班長が外へ出て行ったの思い出し、「あ、班長はあいつを探しに行ったんだな、じゃ安心だな」、と自分に都合良く考え、一人で納得し、自分の班の天幕に戻りました。
そして、自分の班の天幕で寝るために装具を外していると、天幕の入り口あたりでガサガサと音がしました。
あ、あの野郎が帰ってきたな、先に逃げやがって!と思いつつ、天幕の入り口を開けてやると、さっきの兵隊の顔がいきなり現れました!
今度こそ腰が抜け、へたり込むと、その兵隊がニヤリと笑い、「砲兵第○○大隊の陣地はここでありますか!!」と言い、そこでM新隊員は気絶、気がついたらもう朝だったそうです。
ちなみに、先に逃げた同期は、班長達の天幕の近くで隠れているところを班長に見つかり(やっぱ探しに行ってたw)、班長から「仲間を置いて先に逃げた罰だ」と言われ、班長と一緒に例のタコツボで朝まで歩哨をやらされていたそうです。
この「砲兵第○○大隊の陣地はどこでありますか!!」と聞いてくる兵隊の霊は、何十年も前から目撃され続けているそうです。
ここまで書けばみなさんはもうお気づきでしょうが、この『砲兵森』という名前の由来は、旧軍事代から目撃され続けてきた砲兵の幽霊が元で、「砲兵が出る森」「砲兵森」と呼び、それがそのまま大正、昭和と旧陸軍時代、戦後の陸上自衛隊と続き、いつしか正式な名称になったという話です。
実際に明治時代に、旧陸軍の砲兵大隊がここで陣を張り訓練をしていたところ、一人の兵隊がいなくなり、捜索するも結局見つからなかったという事件あったそうです。
私も実際に、この砲兵森で何度か野営しましたが、たしかに薄気味悪いところでした。
幸いにも私はここでは何も見ることは無かったのですが、他の場所では色々と体験させていただきました・・・。
それはまた次の機会に書きたいと思います。
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