森林管理の仕事をしている古い友人は、年に数回、山に供え物をする。
供えるのは串団子で、古くからの習慣だという。
朝、山に入る時、道沿いの巨木の根元に団子を3本置いていくと、夕方には串だけが残されている。
団子は特別なものではなく、最近は、コンビニで3本100円で売っているような、菓子メーカー製の団子を供えているとの事だ。
そんなものでいいのかと、こちらが心配してしまうが、供えている当の本人はそんな事に頓着しない。
そもそも、供えている相手が山の神様なのか、あるいは精霊のような存在なのか、それさえ知らずに供えているというのだから、もはや有難みも何もない。
供えて何を祈るかと思えば、取り立てて祈りもせず、「はい、どうぞ」と、その一言だけを心のうちで、そっと添えるのだという。
先代から引き継ぐ時に、彼は詳しい話を聞いたはずだが、細かい事は覚えていないと、嘘か本当か判然としない顔で言う。
朝、団子を供えて夕方に串を持って帰る。
持ち帰った串は、一般ごみとして捨ててしまう。
それを年に数回繰り返す。
それだけの事だと彼は言う。
「ただな」、と笑った。
「一度だけ、串を持ち帰るのを忘れたんだ。いやもう、懲りたよ。」
串を持ち帰り忘れた翌朝、玄関を出て、鍵をかけようとした時、鍵穴に竹串らしきものが、ぐちゃぐちゃに差し込まれているのに気付いたのだという。
鍵は交換せざるを得ず、かなり痛い出費となった。
その後、どんなにせがんでも、この話だけはしてくれない。