無意識でないと見えない死体

『横を過ぎ去り際に、首を吊った人影が見える』という噂の木がある。

その木自体はどこにでもありそうな、いたって普通の木で、何時何処で誰が何故どのように首を吊ったのか、といったバックボーンは語られていない。
ただ、そういう木がある、という噂だ。

じっと見つめてもそれは見えず、偶然もしくは何の気なしにその木の横を通り過ぎた際、『ふと』目の端に映るのだそうだ。
思わず二度見すると、影は消えている。
言わば、意識の端でしか捉えることの出来ない首吊り死体、といったところだろうか。

ホラー映画などで、何気ない風景を映した画面端にさりげなく幽霊が映っている、といった手法は稀に見るが、現実でその手の怪談や噂話は聞いたことがない。

というわけで、見に行くことにした。

普段そういった場所に向かう場合、出発は大抵夕方以降になるのだが、今回は午前中に出ることにする。
根城である大学近くのぼろアパートから外に出る。
春空はすっきり晴れていて、愛車のカブも機嫌が良さそうだ。

家から南へ向けて、一時間ほどのんびり走った。
太平洋に面した広い平野をこれでもかと耕した、やはりだだっ広い田園風景の中、目的の木は立っていた。
こぢんまりと茂った、鳥居があることからして鎮守の森だろう、その端から何かラジオのアンテナのようにまっすぐひょろりと突き出ている。

鎮守の森から広い畑を二つ挟んだ農道の途中にカブを停めた。
農道は間隔の広い碁盤の目のように縦横に走っている。
見たところ、何の変哲もない普通の木だ。

カブのシートに尻を乗せたまま、目を細めて横に張り出した枝の数を数える。
もちろん、どの枝にも首吊り死体の影はない。

樹種は杉だろうか、あまり詳しくないのと遠目であるためよく分からない。
葉は少なく枯れかけているんじゃないかと思う。
樹高は隣の鎮守の森よりはっきり高い。
再びカブのエンジンを掛け、農道を走り出す。

噂では、『木の横を通り過ぎた際』とあるようだが、あまりにだだっ広い場所に生えているため、どの位置が横なのかいまいち分かり辛い。
とりあえず今走っている農道を、振り返らなければ木が見えない位置まで走って、Uターン。というのを何セットか繰り返してみた。

極力木を視界に入れないよう、意識しないように走ったのだが、目の端に何かが映ることはなかった。

しばらく往復して無駄だと悟る。
そもそも、意識して意識しないと意識することは、それは意識しているということではないだろうか。
何だかこんがらがってきたので、それ以上考えるのはやめた。

作戦を変更することにする。

またカブを停めて、ヘルメットを脱ぎハンドルに引っかけ、道の脇を流れる水路の縁に腰掛けて、木を眺めた。
人間、一つのものをずっと意識し続けるのは困難だ。
いくら集中していても、ふとした瞬間に意識がそれる。
そのそれた瞬間に、見えないだろうか。

というわけで、意識しない作戦はやめ、腰を据えてじっくり木を眺めることにした。
腰を降ろして目線が下がると、ただでさえ広い田園がよりだだっ広く感じられた。
こういう場所に居ると、遠近感覚がおかしくなる。
何だか自分が巨大な生物になったような気がするのだ。

前方の木の上空では鷹のような鷲のような鳥が一羽、輪を描いて飛んでいた。
時間が過ぎる。

思惑通り、何度か木から目線と意識を外してしまったが、思惑に反し、首吊り死体のくの字も見えない。

暇だ。
尻がこる。
腹が減って来た。

そんな深層心理からの訴えを無視して木を凝視していると、ごとごとごと、と音がして農道の向こう側からトラクターに乗ったじいさんがやって来た、かと思うと、傍で停車した。

「・・・・・・兄ちゃん、さっきから何をしゆうぞ?」

運転席からこちらを見下ろしながら、じいさんが言った。
その口調からして、何やら見知らぬ若もんが農道を何度も何度も往復しているのが気になって声を掛けた、といったところだろうか。

別に隠すこともないので、木を指さし、あそこに出るらしい首吊り幽霊を見に来た、と答えると、じいさんは目を丸くした後、「あー・・・・・・、ああ、ああ」と何度か頷き、
「ほうか」とだけ言い残して、また、ごとごとごと、と去って行った。

小学生のころから単騎心霊スポット巡りを趣味かライフワークかといった形で続けてきた身としては、こういう反応は特に珍しくない。
たまに、どうして一人で行くのだ、と聞かれるが、人と分かち合うようなものじゃないから、と答えると大概首を捻られる。

何故行くのか、とも訊かれる。
単純な話だ。

見てみたいから。
だから数撃ちゃ当たるの精神でとりあえず突撃する。
あとは、そういう場所の雰囲気が好きだから。
そうして、それを最大限味わうには一人がいい。

その後相手は、実際に幽霊を見たことはあるのか、と続ける。
一度もない、と答えると相手は呆れて去っていく。
首吊りの幽霊は、まだ見えない。

とても暇だ。
尻と腰が痛い。
腹が減った。

相変わらず浮かんでくるそんな思考を脇へどけながら木を眺めていると、ごとごとごと、と先ほどのトラクターじいさんがまたやってきて、傍に停まった。

「ほれ、兄ちゃん兄ちゃん。これ、ほれ」

そう言って、じいさんは小さなビニール袋を一つ差し出してきた。
受け取って中をのぞくと、中身は缶コーヒー一本とコンビニのおにぎりが二個。

「どうせ期限が過ぎちょらあ。遠慮せんでええけよ」

見ると確かに、にぎりの方の消費期限が昨日の日付だった。
礼を言うべきかどうか少し迷う。

「・・・・・・首をくくったはええが、長いこと誰も気づかんかったそうやけぇなぁ」

何の話かと訊くと、どうやらあの木で自殺をした人物は、このじいさんの遠い親戚にあたるらしい。
話しぶりからして、このにぎりと缶コーヒーは、『これをやるから俺の話に付き合え』ということだろうか。

首を吊った男は、それはそれは影の薄い男だったそうだ。
大人しく控えめで自己主張がなく、家族もその存在を忘れるほど。
はっきり言えば、周りの誰からも無視されていた。

男が首を吊ったのは何十年も前の話で、当時は木もまだ低く、丁度木陰に隠れるようにしてぶら下がっていたらしい。
発見された時、遺体は少なくとも五日は宙ぶらりんのまま放置されていたそうだ。

「それにしてもやなぁ・・・・・・、家のもんが森の周りで畑しよって、それで気づかんっちゅうんも、おかしな話よなぁ」

確かに、おかしな話だ。

「気づいてたんじゃないかな、それ」

すると、じいさんはこちらをじっと見つめ、何故かもごもごと笑った。
それからしばらく今年の気候や農作物の話を聞かされたあと、じいさんはまた、ごとごとごと、と去って行った。

その後、賞味期限切れのにぎりと缶コーヒーでランチをして、それからさらに二時間ほど木を眺めてから、帰ることにした。
結局、ここでも何かを見ることはなかった。
ただそれはいつものことだし、別の収穫はあったから結果としては上々だ。

帰る前に鎮守の森に接近して、近くから木を見上げてみた。
森から突き出るようにひょろりと伸びている以外は何の変哲もないただの木だ。

ふと足元を見ると、丁度木の影と自分の影が上下に重なり、人が首を吊っているように見えた。
しばらく眺めてからその様子を写真に撮って、昔々一人の男が首を吊ったらしい木を後にした。

帰宅後、夕方。
いつものように隣の部屋のヨシが酒を持ってやって来た。

「また行ってきたのか、おまえ」と訊くので、酒の礼に今日の話をしてやった。

一通り話し終わると、ヨシは眉をひそめ腕を組み何やらしばらく考えてから、「そもそもさ、『意識すると見えない首吊り死体を見ることが目的』って時点で無理じゃね?それ矛盾してね?意識してね?見えなくね?」

「ほう」

こちらも腕を組みしばらく考えた後、なるほど。と思った。

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