幻の”肉屋”

同じような体験をした人がいたら教えてくれたら幸いです。

今から30年くらい前の東京の調布市での出来事。

私が3~4歳くらいの頃、母の自転車の後ろに乗せられ図書館から帰る途中のことです。

いつも左折する十字路で違和感を覚えました。

いつもは十字路から幼稚園が見えるのですが、その日に限って幼稚園の前に木造の”肉屋”がありました。

何かおかしいなと思っていると、母は当然かのごとく、その”肉屋”の前に自転車を置き、中に入っていきました。

私は首を傾げながらも母の後を追い、店の中に入っていきました。

“肉屋”の看板を掲げているものの、野菜も売っており、切り分けられた肉がパックで売っているレジが二台だけある、小さなスーパーでした。

母の後を追い店の中央付近まできたところ、不意にシャン、シャン、という錫杖の音が聞こえてきました。

と同時に、辺りが急に”色”を無くし、緑のレタスも、赤いトマトも、茶色の壁も、何もかもが一面灰色の世界となりました。

奥の精肉コーナーの方からは獣の気配がし、今にも襲ってきそうな、そんな恐怖心に駆られました。

その恐怖心がどこから来るのかもわからないまま、段々と迫ってくる見えない獣の気配から逃げようと、私はその”肉屋”を飛び出しました。

逃げに逃げて十字路の灰色の交差点を渡った所で、”色”を無くしてしまったその世界で、ただ一人色鮮やかな着物を着た女性にぶつかり転んでしまいました。

その女性は、童女のようにも、妙齢の女性にも、老婆のようにも見える不思議な人でした。

彼女は優しく微笑みながら「私はトラ。トラがあなたを守ります」と、半ベソをかいている私に言いました。

すると、迫りくる見えない獣の気配がなくなり、あれ程までに怖かった気持ちが安らいで、”肉屋”の方を振り返ることができました。

いつの間にか”色”を取り戻していたこの世界の交差点には母がいて、信号が青に替わると走って近づいてきて抱きついてきました。

トラと名乗る女性にお礼を言おうと振り返ると、そこにはもう彼女の姿はありませんでした。

それから親戚の家や図書館に行くのに、しばしばこの十字路を通っておりましたが、
あの”肉屋”を見ることもなく、ずっと駐車場でした。

2000年ごろ高校生になった私は、パソコンで地元の地図を見ていると、不意に思い出し、母に”肉屋”について聞いてみました。

しかし、その十字路には”肉屋”はなく、今も昔も駐車場だったと言い、また私が”肉屋”などから逃げた事も覚えていませんでした。(とはいえ、子供故に目を離した隙にどっかに行こうとすることは多少あったともいう)

何か釈然としないまま、たまたま十字路を通りかかった際に、”肉屋”の後ろにあった幼稚園で、チューリップに水をあげている5~60歳くらいの先生を見かけました。

ここで聞かなかったら一生聞くことはないだろうなと思い、世間話の後、”肉屋”について聞いてみました。

私:「この駐車場の所に、昔”肉屋”などありませんでしたか?」

そう聞くと、先生は少し考えてこう答えました。

先生:「君が生まれるずっと前の1970年代、近くの小児科医が家の建て替えで、一年くらい仮設で医院を構えていましたけど、その前も、その後もずっと駐車場でしたよ」

やはりずっと駐車場だったという記憶の正しさに満足しながら、やはり”肉屋”はなかったかという残念な気持ちと、あの記憶が幻だったのかと思い少し安心しつつ、「そうですか、ありがとうございます」と帰ろうとする私に、先生はこう付け加えた。

先生:「でも、昔からちょくちょく同じようなこと聞かれるんですよね。つい先日も小学生くらいの女の子に聞かれたんですよ。その時は養鶏場でしたけど。なんでかしらね」

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