修士をとった俺は結局本格的に個人事業主として探偵業に勤しんだ。
親は「馬鹿なこといってんじゃない」とかんかんだったが、在学中にやっていた仕事で稼いだ金額を示すと、二年やって生計がたっていたら好きにしていいと言われた。
こうして事務所でぐうたらする探偵稼業がはじまった。
探偵業ほどベテランを厚遇しないと事務所が立ち行かない業務もないとは所長の談。
つぶしがこれ以上ないほど全く効かない仕事だから。
他でも通用しそうな人材が諦めずに残るには、将来に渡って働ける職場であることを少しでも示さなきゃいけないということだそうだ。
そういうわけでベテランかつ年配の職員を厚遇する。
大手がベテランを講師に据えた学校とかに無理やり手を広げて全体の統制を欠いたのも、要はそういう必然性に基づいた戦略を実行せざるを得なかったからなんだと。
大体俺に入る仕事は月にして10日ほど。
日給換算すると平均は二万円弱ほどなので生計は成り立ったが、事務所におかせてもらったトレーニング機材で先輩方に呆れられながら汗を流す日々も多い。
そのうち事務所の若旦那とからかわれるようになった。
その仕事はある日唐突にやってきた。
見覚えのある顔がやってきて仕事を依頼したいという。
所長が飛び込み営業するときに何度か付き合わされた事があったので、多分その時に見たなあと思い記憶をあさるも出てこない。
とりあえず個人客との取引は事務所の方針でしないことをマニュアル通りに告げたが、いやどうしても口の固いとわかっているところにやってほしいという。
結局所長が戻るまで粘られた挙句、少し咎めるような視線をよこされた後、責任もってやりなさいと俺の仕事にされた。
「最近うちの女房が変なんだ」
三十歳年下の若い女房をどれだけ溺愛しているかを主張したおっさんは悄気ながら言った。
夜遊びとは思いたくないが深夜出歩くことも多い。
男の影がちらつくということはないと思いたいが・・・という、『あ、これ一番やっちゃいけない浮気調査じゃん恨まれるの嫌だわ』・・・こう思ったものの所長の期待のほうが大事なので断るのはやめにした。
張り込みが続いた。
探偵を知らない人のためにいっておくと、これが探偵殺しともいわれる仕事。
俺の場合は元々脚力トレーニング中にチューナつきのゲームギアでテレビ見たりゲームやったりってよくしていたから暇つぶし上級者だったけれども、さすがに毎日夜八時からはりこんで翌朝九時に終了ってスケジュールは堪えた。
一番大変なのは不審者と思われやすいことだ。
探偵ですなんていっても警察はそれこそ不審者(ストーカー)としてしょっぴく。
その場にいて不自然じゃない立ち位置を確保するために変装するにしても
、さすがに真夜中の結構いいとこの住宅街ってなると溶け込むのも無理。
レンタカーで車種を変え変え駐車場所も変え変え、びくびくとわくわくを抱え込みながらひたすら待つんだな。
で、やっとこさっとこ不審な外出がきた。
大通りまでは車で追跡できたけれども、タクシーを捕まえる様子もないので仕方なく車を下りて追跡した。
ズボンもジャケットもシャツもリバーシブルなんていう変装用の服装に、リュックサックやらいろいろはいったボストンバッグを抱えてみるが、挙動に全く不審な点はない。
やましいところがあれば振り返ったりなんなりという行動に出るんだが、尾行が恐ろしくしやすい相手だった。
電車を乗り継いで多摩方面へ向かう。
そうしてやっと下りた駅からどんどん人気のない方に向かっていく。
さすがにもう尾行ができる状況じゃなくなって、バックアップのいないことに泣きが入りそうになった。
着いた場所は緩やかな傾斜に墓の立ち並ぶ田舎臭い墓地だった。
墓地には入らず望遠レンズつきのカメラで追った。
ある墓の前で立ち止まるとターゲットがその場にひれ伏すのが見えた。
ほんとうに神経質に墓を丁寧に洗ってから一心不乱に祈る。
そうして二時間ほどあんな場所で過ごしてから帰路についた。
ターゲットをやり過ごしてから、うっすらしめった墓石を手がかりにして
誰の墓かを割り出してその日の尾行は終えた。
現像された写真を確認している最中、一心不乱に祈るターゲットの背後に立つ人影を発見した。
その前後の写真には写っていないものだったので、ひと目で”それ”と分かった。
数日後、再び尾行のタイミングがやってきた。
この時は自分の取り分が減るのも上等と、この案件の責任者として手の空いてる先輩に尾行を任せ、俺はその報告を聞きながら先回りした。
やっぱりまたあの墓地またあの墓の前だった。
合流した先輩と二人で静止画だけじゃなく動画も撮影。
またも一心不乱に祈るターゲット。
先輩:「おい、これ」
俺:「あ・・・」
先輩のもってるデジタルカメラで撮影したカットの中にもっとはっきりした像が見えた。
胴体から下がないのか、かすれているのか・・・といった感じでターゲットの後頭部を見つめていた。
先輩:「たまにあったな。こういう案件」
俺:「まじですか?」
先輩:「前のとこにいたときにこういう写真クライアントにみせて首しめられたことある。人の金で遊んでんじゃねえって」
俺:「うわ・・・酷いですねそれ。でも信じられないし信じたくもないか。もう何枚かとっておきます」
翌日、現像室の先輩が軽く悲鳴をあげた。
その原因は俺が追加で撮った写真に”アレ”がこっちに近づいてくる様子が撮影されていた。
クライアントに報告する際、心霊写真はどうしようという話を綿密にすることになった。
最終的に俺が判断するように所長に言われたので、ほぼ半々に別れたため報告することにした。
俺:「浮気はまったくありませんが、不気味なことに墓参りが目的でした」
依頼者:「ああ、それなんだが。女房は夜の外出をやめてくれたよ」
俺:「え?・・・まあ、とりあえず此方をご確認ください」
依頼者:「ん・・・なんだ、これは」
心霊写真を時系列順に見せると、みるみるうちにクライアントの顔が青褪めた。
俺:「わかりません。で、これで・・・最後にこの近影ですね」
依頼者:「・・・・・・これは、怖いな。・・・なあ、冗談なんだろう?」
肯定してほしそうに見えた。
しかし、空気を読まないことにした。
俺:「申し訳ありませんが・・・・・・偽りのない報告です」
依頼者:「・・・・・・あんまり考えたくないな」
俺:「俺もです。奥様は、この映っているものの正体に、心当たりがあると断定せざるを得ません」
依頼者:「・・・・・・ううん。妥当だ。・・・とこれで、これ、この写真。明らかに君らのほうに、来てるよな」
俺:「まあ、別にそれは・・・」
依頼者:「・・・変な迷惑をかけてもいけない。ちょっと、女房に確認してみよう。まっててくれ」
携帯をとって席を立ったクライアントが離れていく。
壁際で話し込んでいる様子だった。
こっちを振り返った瞬間クライアントの顔が怯えに満ちて、俺もそれを見て腰を浮かしたんだか抜かしたんだかという具合に席を離れた。
「い、今キミのとなりに」
「な、なんとなくわかりました」
その後納得のいく説明が奥様からなされた。
昔自分から遊びに行こうと誘った友達を彼女が遅刻したせいで喪ったらしい。
それ以来稀にその友人が見えることがあったが、玉の輿といっていい結婚後からその顔が険しく変化して恐ろしくなったので、見えるたびに必死になってお参りをしていたそうだ。
クライアントの好意でついでだからと奥様とともにお祓いを受けさせてもらった帰り。
横断歩道を渡っている最中、瞬きした次の瞬間に目の前に奥様がいた。
あまりの出来事に硬直したら、追い越しに熱中していたバイクに突っ込まれて足の甲を前輪にやられた。
軽い怪我ですんだが、その時俺は奥様のほうがまるで交通事故を呼んでいる錯覚にとらわれた。
それを馬鹿正直に報告したせいで、クライアントを怒らせてしまい、反応の良かった開拓先を一つ潰したとして所長からこっぴどく叱られた。
調査を上手く終えた所で終えていたら良い心象のまま次にいけたのに・・・と、ぼやく所長にまたいつもの余計な一言の悪癖が出たかと反省。
が、一昨年になって元クライアントが交通事故で他界したと先輩の一人から聞いてからは、誰にはばかることもなくあの女はおかしいと思っているし、俺は言うべき事を言ったと思っている。