石じじいの話です。
肉親の死は、残されたものにとっては辛いものです。
まだ若くして自分の親や子を失うのは、大きな喪失感を持つものです。
失った可能性を思って嘆くのです。
それゆえ、死んだ肉親の姿がこの世に残る、という話がよくあります。
これもそのような話です。
死んだ者が長く現れた家というものがあったそうです。
ある家で、若い母親が病気で亡くなりました。
葬式が終わって数日すると、その死んだ女性が奥の間の箪笥の前に立つようになったそうです。
そこは陽の当たらない部屋でしたが、その薄暗い部屋で箪笥に向かってじっと立つ。
家族は最初は恐れましたが、四十九日が過ぎるといなくなるだろう、と考えました。
しかし、それが過ぎても彼女は消えません。
懐かしいなという気持ちもあったそうですが、いつまでなってもそこにいるので気味が悪くなってきました。
こちらからの問いかけには答えず、じっと立っている。
別に悪いことをしないし、なにか悪いことが起きることもない。
まあ、良いことも起こらない。
僧侶を読んで回向しても消えない。
神職にも頼みましたが効果なし。
箪笥の中に何か心残りのものが入っているのではないかと考えて、箪笥の中を探ったそうです。
しかし、思い当たるようなものはありませんでした。
箪笥の中の引き出しの先板や底板、端板に貼ってある紙まではがしたそうですが、何もない。
その箪笥は、昔からあるもので別に彼女に深く関係するものではありませんでした。
家族の者たちは思い切ってその間から箪笥を持ち出して、お寺で供養しました。
しかし、まだ出る。
畳などもかえましたが、出る。
その女性の子は、その家で成長しましたが、幼い時にはその部屋には入れてもらえなかったそうです。
もしかして、その子が成人したら出なくなるのではないか?と考えたそうですが、そうではなかった。
成人後も彼女は立ち続けたのです。
別に開かずの間になったわけではないのですが、あまり使われない部屋となってしまいました。
その後、その家族は都合があってその家から引っ越しました。
引っ越し先には、女性は出てこなかったそうです。
引っ越してから数年経って、空き家になったその家に行ったところ、その女性は立っていたそうです。
家族の者がいなくなっても出ていたのです。
その女性の子供は成人した後、母親の姿を見たくなると、ほぼ廃屋となったその古い家に行って、立ちつくす母親に会っていたそうです。
会話はありませんが、幼い頃に別れた自分の母親の姿を見ることがうれしかったのです。
その家は、のちに取り壊され土地は売却され畑になりました。
その子が不在中のことだったので、とても残念に思ったそうです。
畑になったあと、母親は姿を消しました。
『残したこどものことが心配で出てきよったんかのう。母親が死んでからも心配しとってくれたのに、こがいな石集めとるやくざなもんに育ってしもうて、母親に顔向けができがよ』
じじいは、少し恥ずかしがってタバコをふかしていました。