今から15年程前・・・私が小学5年生の頃のお話です。
前置きになりますが、私の通っていた小学校は、集落と言ってもいいような田舎にあり、当時の全校児童数は僅か30人程。
現在は木造からコンクリートの校舎に改築されましたが、理由は急速に進む過疎化の末に学校として利用できなくなった際、老人ホームとして再利用する為だそうです。
恐らく現在の在校生数は10人を切っているでしょう。
その為、教師と児童との関係は差程の隔たりがなく、行事の準備で下校が遅くなれば、先生方が児童を車で家まで送ったりと、なかなか地域と密接した関係だったと思います。
私を含め、5年生が取り分け大好きだったのは、校長先生でした。
担任は忙しく、度々外出もしていた為(恐らく教頭になる為に、色々やる事があったんだと思います)、複教科は代理の先生が務めていました。
ですが代理の先生も出勤する曜日が決まっていた為、どうしても空いてしまった時間は教頭や校長の出番なのです。
代わりに授業をしてくれていたわけではありません。
雑談をしに来てくれるのです。
雑学、子供時代の話、創作の昔話・・・児童等のリクエストに応えて、何でも話してくれました。
その中でも人気だったのが校長先生の『怖い話』。
実話だから、尚更怖い、面白い。
今回は、その中でも一際怖かったお話をしたいと思います。
文章にしてしまうとあまり怖くないかもしれませんが、私の文章力の未熟さ故ですので、ご了承下さい。
ここから、校長先生の語り口になります。
俺がまだ新米教師だった頃の話だ。
教師になったばかりで右も左も分からないまま、昼間は授業、夜は勉強・・・ただがむしゃらに毎日を生きてた。
そんな俺は、5年の担任を受け持っていた。
ある日のプールの授業中。
1人の男子児童、Aが近付いて来た。
Aは授業態度は真面目だが、内向的な性格の少年だった。
A:「先生、相談があるんです」
今思えば、休み時間や放課後になれば職員室に閉じこもりっきりで、忙しそうにしてる俺を捕まえるのは大変だったのだろう。
夏休み直前になり、焦ったAは、プールの授業の自由時間を狙ったのだ。
だが、自由時間とはいえ仮にも授業中。
日々の忙しさで苛々も募っていた俺は、「今授業中だから、後な、後」と、Aをないがしろにしてしまったのだ。
そして俺は、その“後”をすっかり忘れてしまい、夏休みに入ってしまった。
Aは、夏休み中に、交通事故で死んだ。
葬儀に参列した俺は、「A、相談聞いてやれなかったな・・・すまない」と申し訳ない思いだった。
夏休みも終盤に差し掛かった、ある日の蒸し暑い夜だった。
俺は、何か奇妙な音に気付いて目を覚ました。
先生:「何だ・・・?玄関の方から音がするな」
当時の俺の住まいは平屋の借家だった。
床の間から襖1つ挟んだ玄関から、奇妙な音がするのだ。
『ギ・・・ギ・・・』
俺は起き上がり、襖を開けた。
なんと玄関の引き戸が、半分程開いていたのだ。
先程の音は、引き戸が少しずつ開く音だったのだろう。
先生:「風か・・・?」
たいして気にも止めずに、引き戸を閉めた。
ちなみに、今ほど物騒な世の中ではないから、鍵は常にかけていなかった。
そして俺はまた床の間に戻り、眠りについた。
つこうと、した・・・。
『ギ・・・ギィ・・・』
またあの音がする!
風もないのに、何故!?
俺は瞬時に察した。
Aが、Aが相談に来たんだ!!
咄嗟に俺は部屋の隅にあったアコースティックギターを取り、きつく抱き締め、タオルケットを頭からすっぽりかぶり、ガタガタ震えながら、「うわーっ!A、俺が悪かった、悪かったから、来ないでくれ!頼む!!」と絶叫した。
その刹那・・・引き戸が開く音が止んだ。
翌日、俺は学校に行き、当直だった年輩の女教師に昨夜の出来事を相談した。
こんな現象をいい大人が本気で怖がるなんてどうかしてる、と思われても仕方がない。
また今夜来られては堪らない。
とにかく、何か解決策を見出だしたかったのだ。
女教師は終始黙って俺の話を聞いてくれた。
そして、一通り話し終えた後、ようやく口を開いた。
女教師:「先生、お墓参り、行きました?」
意外な一言だった。
行ってない・・・。
呆気に取られている俺を見ながら、女教師はにっこり微笑んだ。
女教師:「今からでも遅くないから、お線香とお供え物持って、A君のお墓参りに行きなさい。そして、相談を聞いてやれなかった事を、お墓の前で謝りなさい」
俺は学校を飛び出し、その足ですぐさまAの墓に向かった。
墓前で手を合わせ、必死に謝った。
先生:「A、本当にすまなかった・・・先生が悪かった・・・!」
その晩も、そしてそれ以降の夜も、Aは現れなかった。
そして夏休みが明けた。
あの夜の出来事が夢だったのではないか?と思い始めていたある日のこと。
俺の隣のクラスの女子児童B子が、授業中に突然立ち上がり、天井を仰ぎ見、「ギャアァ~アァアッ」と絶叫しながら痙攣し、その場に倒れたそうだ。
B子はすぐさま病院に運ばれたが、幸い命に別状はなかった。
俺はその時、1つの仮説を立てていたのだが、その仮説が、偶然耳にしたB子のクラスの子等の噂話で確信に至った。
「Aって、B子のこと好きだったらしいぜ」
「あぁ、ずっと陰から見てたもんなアイツ」
「もしかしてB子が倒れたのってさ・・・」
そう・・・内気なAはB子への募る想いを同年代の子等には打ち明けられず、頼れるお兄さん的存在だった俺に相談したかったのだろう。
だが相談を聞いて貰えず、その矢先不運にも事故で死んでしまった。
B子への強い想いだけがさ迷い・・・連れて行こうとしたのではないだろうか。
以上で校長先生のお話は終わりになります。
15年経った今でも、このお話は、色褪せる事無く私の心の中に刻まれています。
今まで、いろんな先生を見てきましたが、この怖い話を初め、校長室を溜り場にしてもニコニコし、空き時間には一緒に遊んでくれた校長先生。
離任式では自身の卒業式以上に泣きました。
今現在も変わらず、私の一番尊敬する恩師です。