10年ずつずれている

カテゴリー「不思議体験」

田舎の話を書く。
小さい頃住んでた田舎の公園に、よく紙芝居屋が来ていた。
高齢で、60前後に見えた。

昭和の終わりにもなって紙芝居ってのもなかなかの話だった。
レトロブームが来る前のことで、酔狂なひとが趣味でやっているのでもないらしかった。
もう、昭和30年代からずっとやってます、って感じ。
聞いたわけじゃなくて、ずっと通ってたイメージだけど・・・。

そのじいさんは毎週公園に来て、ふつうに紙芝居をやっていった。
システムも往時と同じ、飴を買ったら見せてもらえるってやつ。

じいさんは仕事で来ているわけだから、紙芝居のあとに自分から子供と遊んだりはしなかったが、紙芝居に慣れていない今のガキたちが興味津々に紙芝居のことを質問したりすると、いつまででも喋ってくれた。
そして次第に自分の昔話を始めるんだ。
年寄りの話なんてつまらない上に毎回おんなじような話だ。
けどじいさんが喋るたびに同じ話だから、俺含めガキ共はそれをよくよく覚えていた。

話は大体こんなものだ。

じいさんが若い頃にはテレビがなかった。
子供には紙芝居があったけど、少し大人になったやつは、芝居を見に行った。
東京の浅草(俺の田舎は北海道だ)にはお笑いの芝居がたくさんあって、そのなかでもエノケンってひとが日本一の人気だった。
じいさんはエノケンが大好きで、学校を途中で辞めて、エノケンに弟子入りした。

舞台にも出た。

じいさんは何十年かエノケン一座にいたが、エノケンが死んでしまったので、それからずっと紙芝居屋をしている。

じいさんはそれから必ずその「エノケン」の歌を歌った。

じいさん:「だーんな、飲ませてちょうだーいな、けちけちしなさーんな、駆けつけ三杯ー」

駆けつけ三杯なんて言葉の意味はもちろん俺らにはわからなかった。

そのうちに俺は引っ越したんだが、数年前、用事があって数日間その街に戻ったんだ。
親の用事だったから、俺はすることがなくて、田舎だから見るものもないので、ぶらぶら散歩していた。
二十年ぶりの田舎だったから懐かしかった。

で、公園に行ったんだよ。
そしたらガキンチョが何人かいた。
そのガキンチョが、遊びながら、歌ってるんだ。

「だーんな、飲ませてちょうだーいな、けちけちしなさーんな、駆けつけ三杯ー」

びっくりした。
まさかじいさんがまだ生きていて紙芝居を続けているとは思えなかったが、あるいは歌だけがガキ共の間で伝わったのかもしれない。
狐につままれた気持ちで家に帰った。

俺はそこではじめて、エノケンのことを調べてみた。
有名な人らしく、すぐ出てきた。
そして、気づいた。

計算があわない。

調べると、エノケンが浅草で芝居をしていたのは戦前のことらしかった。
いつまでやっていたかは分からないが、じいさんが何十年もエノケンの弟子をしていたこと、調べてみるとエノケンが日本一だった時期は戦前であることを考えると、じいさんの現年齢は、100~110であるはずだ。
20年前のじいさんは、とても80過ぎには見えなかった。

おまけに、一座を辞めたあと、紙芝居屋になったというのも、よく考えたらおかしな話だった。
エノケンが死んだ昭和40年代、テレビの普及で紙芝居業者はほぼ全員が廃業していた。
紙芝居が成り立ったのは昭和30年代のはじめまでだった。

じいさんに関わる時間が、あちこちで、10年ずつずれている。

俺が調べたのは全部ネットだから、実態とは違うかもしれないが、不気味だった。

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