ディアトロフ峠事件

カテゴリー「不思議体験」

1959年、ソビエト(当時)。
スキーでウラル山脈を越えようとしていた、9人の登山グループが遭難した。

捜索隊に発見されたキャンプのテントは内側から引き裂かれ、5体の遺体は気温が-30℃なのにもかかわらず下着姿で靴も履いていなかった。
ひとりの頭蓋骨に小さな亀裂が認められたが、5人の死因は低体温症によるものとされた。

また、グループの持ち物や靴は、キャンプにすべて残されていた。
残りの4遺体を発見するのに、2ヶ月を要しし、遺体はキャンプから75メートル離れた渓谷で、4メートルの雪の下から発見された。

そのうち、1人は頭蓋骨、2人は肋骨を骨折していた。
車と衝突しなければ得られない大きな衝撃が必要とされる損傷だったが、遺体に外傷はなかった。

また、グループに参加していた唯一の女性の遺体から、舌が失われていた。
地元の原住民マンシの関与が疑われたが、足跡は登山隊のものしか発見されなかった。

さらに犠牲者の数人の衣服から、高濃度の放射能が検出された。

最初に発見された5人の葬儀に参列した人物は、遺体の皮膚に濃い茶色の斑点があったと証言している。

事件の現場から約50km南にいた別の登山者グループは、当夜、北の空にオレンジ色の球体を目撃していた。
現場周辺では、1959年2月から3月にかけて、軍や気象庁をふくむ同様の目撃例が多数証言されている。

また、周辺では多数の金属片が発見され、R-7大陸間弾道ミサイルを開発する軍の秘密基地の存在も噂された。

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