幼いころの記憶で謎な話が二つ。
小学校低学年~高学年ごろまでずっと体験したことだと思っていた記憶。
その1。
両親が大喧嘩して父が母に箸やら色んなものを投げつけていた。
二人の声は不思議と聞こえず、無抵抗で身を縮める母を私が庇っていたが、母は私に気付かない。
最後の方でやっと私に気付いて母が私を守るよう庇ってくれた。
ハッキリ覚えているのは、父がハサミとか鋭いものは投げなくて、傷つかないよう色んなものを投げていたということと、家にあった輪ゴムをかけていた置物(五寸釘大きさの鋭い突起が付いていた、しかも結構重さのある)を母に投げつけていたこと。
このことを母に話したのが小学校5年くらいのとき。
だが、母はそんなことはなかったと、私の勘違いだと一笑に付す。
しかし、それから10年以上経って、頭のイカれた父が暴れていた時期があったということが判明。
私が生まれる前のことだという。
その時私は母の胎の中にいたから、知るはずはないということだった。
その2。
海で流された記憶。
親戚と私の家族で親戚の家の近くの海に行った。4歳くらいで初めての海だった。
泳げないので浮輪でブラブラして気付いたら海岸から随分離されていた。
焦って足をバタつかせるけど後ろに流されていくだけ。
しかも誰ひとり私が流されていくことに気付かない。
とうとう海岸の人がゴマくらいにしか見えなくて、後ろを見れば旅客船が見えた。
船がだんだん近くなっていくことに、「ああ、これで終わるんだ」と漠然と感じた。
その時の風景と汽笛の音はこびりついている。
そしたら知らない男の人が浮き輪を引っ張って泳いで引きもどしてくれた。
途中、父も加わって二人で浮き輪を持って海岸まで引っ張ってくれた。
疲労困憊でその先の記憶はおぼろげ。引きもどしてくれた男の人にお礼も言えなかった。
その後、親戚の家の風呂で温まったことは覚えている。
小学校高学年のとき、両親にこの話をしたが「知らない」と言われた。
その親戚と一緒に海に行ったこともないとのこと。
しかも、当時その親戚の近くに海岸はなかった。
普通子供があわやというところで死にかけたら助けてくれた人にお礼の一つも言った記憶もあるだろうに、そんなことはないとキッパリ。
ではなぜこんな記憶があるのか今でも謎だ。