死の臭いは禁断の果実の臭いだと言っていた人がいた。
俺はまだ子供で理解ができなかった。
その人は学校帰りにいるホームレスで、人の死が魅惑に溢れているのはその臭い故だと言っていた。
熟しすぎた果実が蜜をたっぷりと含んだ甘ったるい腐臭。
弱った人間はその臭いに、まるで蝿が自然と引き寄せられるように、自覚もなく魅せられてしまうのだと。
理解できないまま俺は大人になった。
大人になり人生で初めて大きな挫折を経験した俺は、未来に希望を持っていた頃の若さはどこにもなく、世間の荒波に揉まれ行く末には絶望と不安しかなかった。
そんな時、嗅いだことのない甘ったるい臭いが鼻をついた。
甘い甘い果実の臭いだが、いかせん熟れすぎて腐りかかったような、そんな臭い。
臭いの方に近づくに連れ、甘ったるい匂いに鼻がひん曲がりそうになった。
そしてその臭いの先には、頭から血を流して死んでいる男性と、野次馬の人々がいた。
溢れ出る腐臭、それは紛れもなく死体から発せられる濃厚な死の薫り。
俺は初めてホームレスの言葉の意味を理解した。
後に実家に帰る機会があった際、例のホームレスについて親に聞いてみた。
子どもの頃はホームレスと関わることに背徳感があり、聞くことができなかった。
両親は件のホームレスは俺が生まれるよりさらに15年以上前、奥さんと子供さんが殺されて亡くなった方であり、心が壊れてしまった方だと教えてくれた。
ホームレスも生きていることに絶望し、あの甘い、一見芳しい匂いの魅力に囚われていたのかもしれない。
後にこの死の薫りを嗅いだことのある女性に出会ったことがあるが、彼女はその薫りを「大きな百合の花の臭いを凝縮したような」と表現していた。
俺の嗅いだ薫りは「熟して腐りかかったラフランスのような」臭いだった。
2つの臭いの共通点は、どちらも強い臭いに思考がおかしくなりそうだということ。
生きる力を失いかけている時に臭いが解るようになるということだった。