私が住んでいるのは、日本海側の古くは漁業で栄えた港町です。
規模はそれほど小さくなく(一応市です)それでいて、今はもう鄙びた寂しい街でした。
現在は大学を卒業し、市内の銀行に勤めている私ですが、ある休日、お付き合いしている女性と遊んでいると、その女性は大学に忘れ物をしたらしく、私は車でその大学まで彼女を送りました。
市内には幾つかの大学があるのですが、そこは小さな女子短大で、その始まりは大正時代まで遡れるとの事でした。
私は女子大が珍しく、彼女と一緒に入って行って、図書室などを散策しておりました。
とても古びた図書室で、多くの本は埃を被っており、あまり使われている気配は御座いませんでした。
ふと、気づけば本棚と本棚の間に人一人が無理をすれば入れるような隙間が空いており、その隙間の後ろには更に本棚が並んでいるようでした。
私は生来、本などが好きなこともあり、古い本があるのかなと、無理をして身体をその隙間に押し込め、奥に入りました。
小さなステンドグラスから紅い光が差し込んでおり、何だか不気味に思いました。(基督のような・・・なんとなく初期ゴチックを感じさせる陰鬱のものでした)
そういえば、休日だからか、その学内にも図書室にも人の気配はまったく感じませんでした。
案の定、私が考えたとおり、そこには幾つかの本棚がありました。
ただ、思ったより埃などは被っておらず、綺麗な事が不思議に思われました。
その本棚には英語の本や独逸語の本、露西亜語の本などがあり、正直英語の本もぐねぐねとした筆記体で私にはタイトルを読む事も出来ませんでした。
そういえば、この大学の創業者はアメリカ人で市の漁業関係者で、とある篤志家が基金し、その大学が出来たと、何かで聞いた憶えが御座います。
私は自身の無知を悔やみながらも、本を手に取りぱらぱらと捲っておりました。
ふと、ラテン語?の本が御座いました。(恐らくその音韻・・・umとあったので、ラテン語だと思います)
それは不思議な豪華な本で皮のようなもので表紙をあしらっており、装飾も蔦が絡まっているような、海藻が絡まっているような、全体で見ると何処か魚類を思わせる、そんな装飾で御座いました。
それを手にして捲ろうとした瞬間、「駄目!」という叫びと共に、その本は取り上げられておりました。
私が夢中になっていたのか、何時の間にか私の後ろに居た彼女が怒ったような、少しだけ怖いような表情を浮かべており、私は戸惑いました。
彼女はその本を本棚にぐっと押し込むと、私の手を取り、何も言わず、図書室を出て、結局、車に戻るまで、何も言葉を発しませんでした。
車に戻り、私はどうした?という問いを発すると、彼女は何だか震えているようでした。
私は気まずく、勝手にふらふらと大学内を歩いた事を詫び、車を走らせ大学を後にしました。
その日は何だかしっくり行かず、食事の後、彼女を家に送ったのですが、その際、絶対に誰にも大学に入った事、図書室に行った事などは口外しないよう、きつくきつく言い含められました。
私も女子大にふらふらと入ったと言う負い目もあり、それを承諾し、その日はそれで終りました。
私はあのラテン語の本は何だったのだろう・・・と、ぼんやりと考え、ネットで調べたり、ラテン語辞典で調べたりしましたが、それらしい言葉は見つからず、造語かなとも考えました。
私の祖父はその年代の人間には珍しく、独逸に留学し、現在も色々と本を読んでいる博識家なので、ある日、祖父にそれとなく、ラテン語のその言葉を知っているかと問いました。
その瞬間、祖父は青褪め、「そんな言葉は知らない!」と、普段の祖父からは想像出来ない強い口調で否定し、続けてその言葉を何処で聞いたかと私に問いました。
私は彼女との約束もあり、言葉を濁し、「いやネットで見たんだけど・・・」と話すと、ほっとしたように、祖父は口調を和らげ、「見てないよな??」とぽつりと口にしました。
本当は私はその本を手に取り、『見た』のですが、何だか口に出来ませんでした。
それから私の身の回りでは色々な事が起き、一月ほど経った竜宮祭の時期に、彼女は自ら命を絶ちました。
その遺書には「我が神に捧ぐ」とだけあったそうです。
それ以来、私は仕事が終ると、海に行き、ぼぅっとしております。
それ以外、出来ません。
そうして、私自身、何となくですが、海に還りたい気がするのです。
そろそろ、私の番かもしれません。