はじめまして。
数年前のR社のシステム開発プロジェクトでの事。
以下「プロジェクトA」とし、「A」と略す。
「A」はうちの会社(Z社)が請け負った
2003年11月~2005年1月の約1年間のプロジェクト。
たいした規模ではなかったし、珍しいシステムでもなかった。
ただカットオーバー当時、いろいろと仕様でトラブってしまい火を噴いた。
開発メンバーのZ社の私達は、トラブル対応に追われ約2ヶ月間、
連日の徹夜作業となった。
※カットオーバー:IT業界でよく使われる言葉で、新しく開発されたシステムが稼動することを言います。
トラブルが収まった後からシステムは正常に今も稼動を続けているが、R社とZ社で「A」に関わった人たちが結構亡くなっている。
現在生きている人も何人かは、最悪の境遇に陥っていたりする。
まぁこれらの不幸の連鎖は、単なる偶然だろうと思う。
が、妙な共通点もあるのでちょっと怖い。
以下、「A」に深く関わったメンバーの詳細。
【Z社(わが社)】
◆リーダー・Gさん(50歳代)
「A」以後、成功させたプロジェクト無し。
最近も1年かけて準備した大型案件を失注・・・まさに苦境を迎えている。
失注の責任を取らされるだろう。
正直、自殺しないかちょっと心配・・・。
◆サブリーダー・Hさん(40歳代)
現在、閑職で奮闘中。
健康状態悪い・・・。
◆私
同上。
◆メンバー・Iさん(当時20歳代)
「A」のトラブル対応の激務から廃人のようになり、2005年4月に退職。
その後行方不明。
今も生きてるのかどうか・・・微妙。
◆メンバー・Jさん(当時40歳代)
同上。
◆メンバー・Kさん(当時30歳代)
IさんJさんの後釜として配属。
2005年ずっと「A」のメンテナンスを担当し、2006年正月明けから「A」の拡張新規サブシステムの開発を担当。
2006年5月中旬、そのサブシステムのカットオーバー2週間前に交通事故で亡くなった。
即死だった。
彼の運転する車に同乗していた奥様は足と腕を骨折しながらも助手席で生き残った。
お腹の赤ちゃんも無事だった。
奥様の話では、なんで事故になったのかよく分からないという。
Kさんが遺した仕事は私が引継ぎ、徹夜の連続でなんとかカットオーバーに間に合わせた。
◆メンバー・Lさん(当時40歳代)
最近まで普通に仕事を続けていたが3ヶ月前(2008年9月)、交通事故で亡くなった。
◆メンバー・Mさん(20歳代)
Kさんが交通事故で亡くなった数日後からKさんが使っていた席に座りはじめた。
しばらくして2006年6月上旬、Mさんの親戚の葬式の最中に、突然の心臓発作でMさん自身が倒れた。
葬儀場でのMさんの母親による咄嗟の人工呼吸と心臓マッサージが功を奏し、心肺停止状態で病院に搬送されるも蘇生。
なんとか一命を取りとめたが、3ヶ月の休職を余儀なくされた。
現在はほぼ健康な状態で別の部署で普通に仕事をしている。
もともとMさんには心臓疾患などは無かったため、葬儀に参列していた親族一同は騒然となり、お祓いを受けたりしたらしい。
◆メンバー・Nさん(40歳代)
「A」のトラブル対応中に健康を崩しプロジェクトから離脱。
以後は何の厄災もなく今も普通に仕事をしている。
◆メンバー・Oさん(30歳代)
同上
I、J、K、L、Mさんはちょっとずつ時期をずらしながら、同じ座席に座っていた共通点がある。
ちょっと怖い。
その席に座っていない他のメンバーはどうにか無事でいる。
現在その席はただの物入れになっている。
【R社(お客さま)】
◇責任者Pさん(50歳代)
特に問題なし。
今も元気にうちの会社とお付き合い頂いている。
◇担当者Qさん、Sさん(40歳代)
同上。
◇担当者Tさん(当時30歳代)
2006年6月下旬、新幹線の車内で心臓発作により急逝。
もともと心臓疾患はなく業務中の急逝でかつ過労気味だったため労災扱い。
ご遺族との裁判にまでは至らなかったが、R社では大変な騒ぎになった。
◇担当者Uさん(当時50歳代)
2006年秋、がんで亡くなった。
Kさんが亡くなり、数週間後にMさんが死にかけ、その数週間後にTさんが亡くなった。
KさんとTさんの葬儀には私も参列した。
まだ若いお二人との別れ・・・葬儀場はもう、なんとも言えない空気だった。
最近行われたLさんの葬儀も悲痛だった。
若い人の葬儀は、本当にきついですね。
「A」の頃からずっと、R社の事務所では、毎晩遅くまで事務や営業の社員の方々が残業していた。
しかしKさんTさんの不幸があり、Uさんが病床で亡くなる頃、R社で夜に残業する人はいなくなっていた。
2006年初秋の頃だ。
夕暮れに用事があって18:30頃にR社に行ってみると施錠され真っ暗で誰もいない。
おかしい・・・だいたいいつも21:00頃までは誰かしら残ってるのに・・・。
そんな風にR社の社員が誰も残業しない状態がしばらく続いた。
ある日「皆さん最近は早くお帰りなのですね」と、R社の数名に事情を聞いた。
すると皆、口を揃えて「出るの」と、そっと小さな声で答えてくれた。
おばけが怖くて夜に誰も残らなくなったらしい。
毎晩ではないが、20:00頃になると30cmほどの妖精のような「小さなおじさん」が事務所内を駆け回り始める。
また玄関近くの観葉植物の陰から2mを越す「大きなおじさん」が佇んでじっとこっちを見ていることが頻繁にあるらしかった。
彼らは”駆け回るだけ、そこにいるだけ”で、おどかしたり話しかけたり危害を加えては来ない。
が、気持ちのいいものではない。
大小の”おじさん”たちの顔には、誰も特に見覚えは無いとのこと。
しかし「見覚え無しという事にしているだけで実は・・・」という話のように思えた。
”おじさん”などという言い方をしているのは、知っている顔だからなのだろう。
私はもうそれ以上聞かなかった。
”おじさん”たちの姿は人によって見えたり見えなかったり。
見える人の中には「もういやだ」と少々ノイローゼ気味の人もいた。
しかし社長には見えない。
社長はちょいとワンマンで厳しい方なので、社員は「なんとかして欲しい」と訴えづらいらしかった。
私自身は、小さなおじさんとか大きなおじさんとか、そういうのは見えない体質だと思う。
海外旅行先のホテルでめっちゃいわくつきの部屋に泊まったときはさすがにちょっと怖い目にあったが、霊感などは無いと思う。
でもR社事務所内で、私も一度だけ怖い体験をしていた。
2006年5月下旬のその夜。
10日ほど前にKさんが仕事を遺して交通事故で亡くなってしまった後を引き継ぎ、私はR社事務所内で作業していた。
仕事の期限は目前、Kさんの遺志を成就させるべく、私は必死で最終段階のシステムテストをこなしてた。
事務所内には私一人残っていた。
責任を持って消灯と施錠を行う約束で、R社に無理を聞いていただいていた。
午前1時過ぎ、作業終了。
施錠を確認しながら各部屋を消灯して回った。
残るは食堂。食堂を消灯して食堂の勝手口から出て、外から勝手口の鍵をかければ完了。
しかし勝手口の外には電灯が無いため、消灯して外に出ると足元が危ういくらい視界が真っ暗になる。
昼間もだが、夜間にはほとんど誰も来ない場所なのである。
私はまず自分の車を勝手口の脇に乗りつけ、施錠を済ませたらすぐに乗車できるようにした。
そして次のように行動した。
車を勝手口脇に乗り付け、車外に出た。
↓
勝手口から食堂に入った。
↓
食堂の奥の照明スイッチまで約10mを歩いた。
その間に背後で勝手口のドアがゆっくりと閉まり、「ガチャリ」と閉まる音がした。
↓
照明スイッチに辿り着きスイッチを切った。
真っ暗で何も見えなくなった。
↓
携帯TELの灯りで足元を照らしながら勝手口に戻った。
↓
勝手口のドアノブに手を掛けて回した。
↓
開かない?・・・??
↓
「ガチャガチャ」と回す・・・開かない!
ドアが開かない!
鍵がかかっている!!
勝手口の鍵を中から閉めるには、ドアノブのツマミをガッチャリと90度回す必要あり。
ただそのツマミは回りにくく、ドア自体を下から持ち上げるようにグッと引き上げつつ回さなければ鍵がかからないという要領があった。
ちなみに最初からツマミが回っていたなら鍵の金具がひっかかってドアは閉まらない。
自然に勝手にかかったり、扉が閉まる勢いでかかるような鍵ではない!
しかし、かかっている!
背筋が猛烈に寒くなり、全身に鳥肌が立った。
冷や汗が一気に噴出した。
もう色々と想像する前に、とにかく必死でツマミを回し開錠して外に出た。
すぐに携帯TELの灯りを頼りに勝手口の鍵を鍵穴に差し込み、ドアをグッと引き上げながら回転させて施錠した。
エンジンをかけたままの車に飛び乗り、一目散に出発した。
バックミラーやサイドミラーは絶対に見ないようにして走り、一番近いコンビニの駐車場に入って一度車を降り、店内で落ち着いてから帰宅した。
そんなことがあった・・・。
それ以来、私はR社に夜一人で残るようなことは絶対にしない。
”おじさん”の話を聞いた時にR社の社員の一人にはじめてこの話をしてみた。
その人は、ちょっと困ったような表情で私のことを見ていたが「・・・今年は、いろいろありましたね」と、つぶやくに留まった。
それ以来、R社に伺っても、”おじさん”の話はしていない。
R社の社屋は2007年夏に全面リフォームされた。
その後、おかしな現象は収まったらしい。
今ではまた以前のように、R社の社員は夜遅くまで事務所で仕事をしている。
もう一連の不幸は終わったかと思っていた。
でも最近Lさんが交通事故で、Kさんと同じように亡くなった。
棺の中のお二人は、ともにお顔はきれいだった。
まだ連鎖は続いているのか?
実のところは単なる偶然が重なっているだけだとは思う。
が、ここ数年でR社とZ社で亡くなった社員は「A」に深く関わった人だけだと思われる。
決して人数の多くない私の部署の朝礼で「えー、すでにご存知のことと思いますが、昨日、○○の○○さんが・・・」って話を何度聞いたんだ。
私の健康状態もあまり良くない。
時折、不安を覚えるのです。
以上、もし最後まで読んでくださった方がいましたら、どうもありがとうございました。