心霊スポット巡りをしていた時の話。
徳島には有名な病院の廃墟が幾つかあり、とりわけ天野病院、かん医者、福井病院は三大病院廃墟として有名で、知名度からいけば天野病院は徳島で最も有名な心霊スポットと思われる。
その中から、「天野病院」を訪れてみた。
事前の情報では既に取り壊されているとの話であったが、医師の宿直に使ったと思われる建物だけが残っているという話だった。
たとえ解体撤去されていても、有名スポットだけに、跡地だけでも見てみたいというのが正直な所だった。
聞いた話などを総合すると、天野病院はかなり昔に廃業したらしく、その後、荒れるに任せ廃墟として長い間放置されていたという。
建物があった当時は、町でも「幽霊屋敷」として有名な存在だったという。
病院として経営していた当時の様子なのだが、何分にも昔の話なので、人によって話が変わってくる。
当時は綺麗で大きな病院だったという話も有れば、診療所といった程度の規模だったという話もある。
また、開院当初は、結核患者や頼病患者を対象とした隔離病院で、その名残として窓には×字形に鉄柵がはめられていたという話も有るが、事実の程は不明である。
病院の中は、当時のカルテ、錆付いたメス、血痕の付いた服、ビーカー、布団、大正時代の年号の記された領収書、目録、食器、雑誌、オルガン・・・そして赤ちゃんのホルマリン漬けがあったという。
また、地下室があり、そこが手術室になっていたという噂から、棺桶があったという噂まである。
この廃病院に残されたカルテ。
これこそがもはや都市伝説にまでなった天野病院の最大の恐怖である。
この話にも何パターンかの話があるのだが、最も代表的なものは、肝試しに入った若者(T島大学の生徒だったという話もある)が病院内に散乱していたカルテを面白半分に持って帰ったそうだ。
すると、彼らが家に帰ると廃業しているはずの天野病院から電話がかかってきて、「天野病院の○○(看護婦)ともうしますが、△△さん(カルテを持ち出した若者)先日持ち出したカルテを返していただきたいのですが」と名指しで電話があったという・・・。
そして、余りの恐怖に彼は翌朝早々にカルテを持って天野病院を訪れたそうだ。
しかし、その時、地下室で『何か』を見てしまったらしく、恐怖の余り彼は気が触れて精神病院に入院したということだった。
また、別の話では・・・彼が持ち出したのは何も書いていない白紙のカルテだったという。
ところが、その日の夜、天野病院からカルテを返して欲しいという旨の電話がかかってきた。
そして、彼がそのカルテを見ると、白紙であったはずのカルテには、彼の名前と「右足骨折」と書かれていた・・・。
翌日、彼は不注意から右足を骨折、カルテに書いてある通りになったという。
他にも、カルテに書いてある病名を口にするとその病気になるといった話もある。
天野病院を訪れた若者が車に乗って帰ろうとした時、突然車の窓ガラス全てが真っ白になり、そこに「二度と来るな」という文字が浮かび上がったとか、肝試しに訪れた4人のうち3人が自動車事故に遭ったとか、病院の前まで来ると突然車のエンジンが止まり、エンジンがかからなくなったという話も聞いた。
変わった話では、天野病院の前にはキューピー人形(首が無いともいう)が落ちていて、これを踏んでしまうと命を落とすといった話もある。
死ぬかどうかは別にして、誰かのイタズラかもしれないが、実際にキューピー人形はあったらしい。