犬鳴峠という名前は側に位置する犬鳴山から来ている。
由来は諸説あり、文献『犬鳴山古実』には「この山を犬啼と呼ぶのは谷の入口には久原へ越える道筋に滝があり、昔狼が滝に行き着いたが、上に登れないことを悲しんで鳴いていた」と記されている。
他にもこの犬鳴山はとても深いため、犬でも超えることが難しく泣き叫んだため犬鳴山と命名された説があるが、律令時代に稲置(いなぎ)の境界線に位置していたことから、次第に「いんなき」と変化していった説がある。
筑前方言で犬は「イン」と呼ぶため、犬鳴峠は「インナキとうげ」とも呼ばれる。
旧犬鳴トンネル近くに、法治が及ばない恐ろしい集落『犬鳴村』があり、そこに立ち入ったものは生きては戻れない」と言われている
トンネルの前に「白のセダンは迂回してください」という看板が立てられ、日本の行政記録や地図から完全に抹消されている。
村の入り口に「この先、日本国憲法は適用しません」という看板がある。
江戸時代以前より、激しい差別を受けてきたため、村人は外部との交流を一切拒み、自給自足の生活をしている。近親交配が続いているとされる場合もある。
入り口から少し進んだところに広場があり、ボロボロのセダンが置いてある。
またその先にある小屋には、骸が山積みにされている。
旧道の犬鳴トンネルには柵があり、乗り越えたところに紐と缶の仕掛けが施されていて、引っ掛かると大きな音が鳴り、斧を持った村人が駆けつける。
全てのメーカーの携帯電話が「圏外」となり使用不能となる。
また近くのコンビニエンスストアにある公衆電話は警察に通じない。
若いカップルが面白半分で犬鳴村に入り、惨殺された・・・等の噂がある。