中古のテントの隅に・・・

カテゴリー「日常に潜む恐怖」

俺を含め、金の無い山好きにとって、登山道具の価格は、時に犯罪的だ。
いくつかの道具など、その価格や謳われている効能、機能からして充分、詐欺罪で告発できるのではないかとさえ思える。
能書きが多い道具は特に注意が必要で、能書きが多い道具で、値段との比較で後悔しなかったのは、ビクトリノックスの多徳ナイフくらいのものだ。

リサイクルショップなどと言う、まあ古道具屋では、古い山岳用品が時に陳列され、販売されている。

無論、格安で、これまでに一番成功した買い物は、プレスでなく鋼の打ち物の、鍛冶職人の名前が掘り込まれた古い八本爪のアイゼンだ。
購入後、20年を過ぎているが、ガタひとつなく、爪は研ぎを重ねて実に具合よく、程よく雪や氷に食い込む。

知人はテントを買った。
古いタイプの一人用テントで、今時の物のように軽くも小さくもなく、それ一つで小さなザックの半分を占めてしまう代物だが、何しろ安かった。
焚き火の煙が染み付いたような臭いがして、赤い色はあせていて、ポールは傷だらけだったが、小学生の小遣い並みの価格に惹かれ、ついつい購入してしまったらしい。

ざっと広げてみると、破れもなく、細紐の状態も充分実用範囲だ。

彼より早くそれを使う事になった。
そのテントを借り、背負って歩き始めた時は、その重さに愕然としたものだ。
一人用のテントだとは信じられない重さで、いかに古いテントとはいえ、これはたまらんと、早々に計画を変更し、行程を大幅に削った。

星がよく見えそうな、林道脇の開けた台地で、ここらで寝るかと思いながらザックを降ろし、テントを引きずり出し、設営した。
コンロの火で簡単な夕食を仕立て、ぽつぽつ数を増やす星を眺めながら食った。
食い終わり、片付けが済むと、星を眺めたり、妄想に恐怖する以外にさしてする事もなくなったので、座り、横になり、立ち上がり、星の光に心奪われ、少しの物音に怯え、ゆるやかに物思いにふけった。

そろそろ寝るかとテントにもぐり込み、巾着袋の口のようになった入口の紐を絞り、腹ばいになった。
懐中電灯を点灯し、ザックから飴玉を取り出した時、テント側面の赤い生地と床面のグレーの生地が折り重なった部分に目が行った。
破れを探した時には、しっかり広がらなかった箇所だ。
黒っぽい色のマジックで何か書いてある。

乱れた字に胃袋がすぼまった。

『妻へ。心配してるだろうか。バカなやつだとおこってるか。君が笑っていないだろうことがなにより悲しい。伝えたいコトはもっとあるのにユビがうごかない。またかく』

朝になり、テントをたたみ、そのまま下山した。
テントは軽かった。

『またかく』とあるのは、『また書く』という事だろうが、目にした以外の書き付けがあるかどうか、友人もいまだに確認していない。
確認する気になど、到底なれない。
友人は、そのテントをしまい込んだまま、一度も使っていない。

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