昔、俺が二十歳過ぎの頃、近所の飲食店でバイトしていた青年と仲良くなった。
気さくな人柄だったので、出前する近所の商店では人気者だった。
事情があって高校を出ておらず、15・6からその店で働いていた。
ある日道端で会うと、「通信制の高校に入学した」と嬉しそうに話す。
「でも英語が全然判んなくてさ。にいちゃん(俺のこと)今度教えてくれる?」と言うので、快く了承し、別れた。
しばらく見かけないと思っていたら、亡くなったと聞かされた。
死因や状況を詳しく書くことができない(非常に特殊な状況だったので)が、自殺とも他殺ともとれる状況で、まだ息のあるうちに通行人に発見され、搬送された病院に駆けつけた両親に一言侘びを言って亡くなったらしい。
事情を聞く間もなく亡くなったが、警察は、辞世の侘びがあった点などから早い段階で自殺と断定。
我々近所の知人達は納得行かなかったが、何も出来ないし、正直何かをしてやれるほどの親しさでもなかった。
しばらくして、その青年の両親が菓子折りを持って『お礼』にやってきた。
どうやら、死因に納得行かず、時間を作っては田舎から出てきて、近隣に話を聞いて歩いているらしい。
しかし、何故俺の名を知っていたのか、何故『礼』を言ってくれるのか、不思議だったので尋ねてみた。
青年は生前、実家に帰省した折に、「近所に優しくしてくれるにいちゃんが居る。仕事で外人さんとかと喋っててすごいんだ。今度勉強を教えてくれるって約束した」と語っていたらしい。
両親は、そのとき耳にした俺の名前(ちょっと珍しい)をたよりに俺を探し、生前の礼を述べに来てくれたのだった。
俺は居た堪れなかった。
あのとき、適当な口約束だけでなく、すぐに時間を作って話を聞いてやれば、何か相談に乗ってやれたかも知れないとも思ったし、何よりも、正直それ程親身になってやっていた自覚が無かった俺を、わざわざ両親に報告するほど慕っていてくれたことが凄く辛かった。
息子の死をうまく受け入れられず、どうしたらよいかも判らず、とりあえず近所の出前先の知人達に一軒一軒挨拶に回っている両親に、どう声を掛けてやっていいか全く判らない、歯がゆかった。
加えて、両親の訪問を受けて、「絶対に原因を突き止めてやる」と息巻いていた周辺の人間も、何時の間にやら徐々に事件を忘れていくことも、ぞっとしないものがあった。
人間の死という出来事は、自分が想像しているものよりも淡々としていて、驚いたり、悲しんだりするよりも、「どうしてよいか判らない」みたいな、漠然としたどんよりとしたやりきれなさを残すものだ、としみじみと感じた。
青年は気が弱く、様々な高額商品を、ローンを組んで買わされていたらしい。
(20未満なので親が保証人だったので、両親も知ってはいた)
外出といえば岡持ち持って出前、という青年が、何故か近所の高級ブティックでスーツを何着も買っていた。
地元でも評判極悪の自己啓発セミナーに入会しており、高額の契約をしていた。
(ちなみに、当時の俺の雇い主も入会しており、同じ担当者=営業マンが憑いていた)
帰省の際は頻繁に両親に金の無心をしており、理由は聞いても言わない。
自称「友人」という柄の悪い連中が絶えず夜間に呼び出して、連れ歩かれていた。
見た目も実年齢も未成年で、飲み屋にも入れないのに連日深夜にどこに行っていたのか。
高校にも行っていない、住み込みのバイトで、どうやって知り合った友人なのか。
事件当日も何者かに呼び出されたらしいメモがあった。
現場は下宿から20キロ離れた人里離れた駐車場。
高速を通らなければかなり遠回りする。
寒い時期の深夜にぽんこつの原チャリで行けるか?わざわざ行った理由は?
何故そこを選んだ?本当に一人で行ったのか?
現場付近の海岸で、複数人の若者が揉めている姿を目撃した人物が、かなり後になって偶然見つかった。
(本当にその晩だったか、関係ある事件だったかも不明)
セミナーの担当者は、遺品整理中に名刺を見つけた両親が電話をすると、飛んできて霊前で号泣。
「仕事を超えた友人関係だった」「親友だった」と切々と語り、「ローンの残債は自分が立て替えるので心配しないでくれ」と話した。
(本来亡くなれば自動的に免責では?)
良い人だ、と思った両親が、数日後改めて礼を言うために担当者の自宅に電話すると、繋がらない。
セミナー会社に電話すると、もう辞めたと言う。
連絡先は知らないとのこと。
仕方なく、だめもとで聞いていた自宅アパートを訪ねると、引っ越したあとだった。
アパートの管理会社に訪ねても転居先は不明。
(教えてくれなかった?)
翌月、その担当はまだ地元におり、他社で似た仕事をしているらしいことを聞いた。
その後、前出のブティックは予告も張り紙も無く急に移転。
移転先を探し出して行くと経営者が変わっている。
どこまでが事実で、なにが影響しているか、まったく判らない。
これ以外にももっとなにかがあったかも知れない。
ここまで知っているのは(色々聞き込んだのは)、両親+俺だけだと思う。
でも事態は何も変わらなかった。
こうやってウヤムヤのうちに真実が拡散していく事件が、世の中には沢山あるのだろう。
青年の勤め先は、今も普通に出前をしてくれる。
経営者と会っても、どちらからも青年の話題は出さないようにしている。
彼を忘れることは無いと思うけど、俺に出来るのはそれだけだ。
数年が経って、近隣の人物と、偶然に話の流れで青年の話題が出た。
みな「悲しい自殺だった」「いいコだったのにね」とだけ記憶していた。
当時、すべてが謎だらけで全員が不審に思い心配していたのだが、時間が経つと記憶の中で複雑なディティールは単純化され、不穏なポイントは全て消えて、理解しやすい形に変化していた。
覚えてはいても、当時の臨場感が無くなれば、記憶しやすい形の事件になってしまうようだ。
俺の中では結論がでないまま。
後味は、いつまで経っても良くないまま。