今の彼女と付き合いだしたばかりの頃の話。
当時俺は学生で、彼女は就職し一人暮らしをしていた。
当然のように彼女の部屋に上がり込み半同棲状態に。
彼女には俺の前に付き合っていた元彼がいた。
その元彼は今でも彼女のことを引きずっているようで、しつこく電話を掛けてきたり、部屋の前で待ち伏せをする事もあった。
「俺がそいつと話そうか?」と進言する。
「ダメダメ、あいつ体おっきいし何するか分かんないよ」
「警察に言った方がいいんじゃない?」
「んー、一応前付き合ってた人だし、私のせいで犯罪者にするのもね」
彼女に危害を加える様子はないとの事なので、それ以上無理強いはしなかった。
お盆休み、彼女は実家に一週間帰省した。
「私いない間部屋にいていいよ」そう言われてた。
俺も実家に戻ればいいのだが、まるで自分が一人暮らしをしているようで嬉しかったのと、ゲーム機を彼女の部屋に持ってきていた事もあり、遠慮なく寝泊りさせてもらう事にした。
その日は彼女の誕生日の前日だったが、帰省中と重なる為お祝いできない。
せめてメールだけでもと、12時にお祝いメールを送る事にした。
夜までずっとゲームをしていた。
暑かったのでエアコンをつけ、電気はテレビの明かりだけだった。
かなりゲームに熱中していた時
『ピンポーン』
突然チャイムが鳴った。
時計を見ると11時半。
誰だこんな時間に、そう思ったが世帯主でない俺は当然居留守を使う。
『ピンポーンピンポーンピンポーン』
常識のないやつだな、何時だと思ってんだ?
『ピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーン』
しつこいな、誰もいないんだよ!
『ドンドンドンドンドン○○○、オレー、いるんだろ?』
!!!元彼の奴だ!!!
しまった!彼女の誕生日だからお祝いに来たんだ!
見つかるとどうなるか分からない、とにかくここはやり過ごそう。
ポーズボタンを押し、コントローラーを握ったまま
まんじりともせず、諦めて帰るのを待った。
奴はかなり粘ったが、12時を過ぎた頃コツコツと足音が遠ざかって行くのが聞こえた。
多分日付が変わると同時にお祝いしたかったのだろう。
もう大丈夫と思い彼女にメールするつもりで携帯を手にした。
『ギシギシギシギシ』
窓の方からなにやら軋む音が聞こえる。
俺はぞっとした。
嘘だろ?ベランダに登ってくる気か!
この部屋は二階なので、雨樋をつたえば簡単に登れる。
とっさにテレビを消し、ベッドの影に隠れた。
その直後、タンという音と共にシルエットがカーテンに写る。
シルエットはうろうろと動きまわり、カーテンの隙間から中を覗こうとしているようだった。
「ドンドンドンいるんだろ?開けてくれよ」
奴は小声で呼び掛けてきた。
なんでいるって分かるんだ?ああ!エアコン入れっぱなし!
ベランダでは室外機がブンブン回っているはずだった。
何度も何度も窓を叩き呼びかけてきたが、一向に出てくる気配のない事に痺れを切らしたのか、ガタガタとサッシを持ち上げ始めた。
それ位で外れるはずはないと思いつつも心臓はバクバクだった。
いくらやっても開かないので諦め、ドンと窓を叩き、奴は再びギシギシと雨樋を下りていった。
つかの間静寂だった。
ベランダまで登ってくる奴の事、これ位で帰るはずがない。
そっと玄関へ行き、ドアスコープを覗いた。
心臓が止まるかと思った。
レンズには男の横顔がどアップで映っていたからだ。
奴はドアに耳を当てて聞き耳を立てていた。
微動だにできず、レンズから目を離すこともできなかった。
奴はしばらく中の様子を伺った後、徐に屈み込んだ。
パタンという音とともに郵便受けが開いた。
やばい!いくら郵便受けに傘が付いているとはいえ、
真正面は見えなくても下側は覗き見ることができる。
気付かれないよう、見えるであろう片足を慎重に上げそっと壁に付いた。
すると今度は郵便受けからグググとごつい手が出てきた。
どこから持ってきたのか手には曲尺(かねじゃく)が握られている。
そいつでどうするつもりだ?その手を凝視した。
手は器用に動かされ、曲尺は鍵に向かって伸ばされた。
その様子から目が放せなかった。
曲尺は何度も鍵をかすめ、ペチペチと音を立てた。
体はふるふると震えていた。
息を殺し、変な格好をし続けたせいで体力は限界だった。
鍵も開けられるかもしれない。
時間の問題だ。
どうする?どうすればいい?
俺は必死に考えた。
警察に電話する?警察がきたらどう説明するんだ?
奴は捕まる?いや奴は俺が不審者と言うに決まってる。
奴は逃げる?俺は奴を知っている。
警察に突き出す?彼女はどう思うだろう。
いっそ戦うか?奴は俺を見るときっと怒り狂う。
俺が勝てるか?台所に包丁がある。
そんな事したら絶対刺さなきゃいけない状況になるんじゃ?
どうする?どうする?
パニックになった。
考えても考えても最善と思える策が思いつかない。
何度も盲牌を繰り返した曲尺は、確実に鍵を捕らえている。
焦りと恐怖と疲労がピークに達し、決断せざるを得なかった。
俺は思いっきり曲尺を持った手を上から蹴り下ろした。
それと同時に掛かっていなかったチェーンロックを速攻で掛けた。
奴は慌てて郵便受けから手を引き抜いた。
奴も急に蹴られたからビビったのか帰ってしまったが、むちゃくちゃ怖い夜だった。