君にもその恐怖を・・・

カテゴリー「日常に潜む恐怖」

大学時代、18切符で旅するのが好きだった。

その時は夏休みで俺は大阪を出て兵庫を走る電車に乗っていた。
途中姫路に寄り、夕方4時頃今日泊まる旅館のあるTという駅に着いた。

旅館は駅から徒歩15分くらいで、山の麓にある小さなところだった。
疲れていたのでチェックインしてすぐ部屋に布団敷いて数時間眠り、風呂に入って夕食を済ませたのは23時頃だった。

そのまま部屋に戻るのもなんなので、しんとしたロビーに座って新聞を眺めていた。
ふと気付くと、自分以外に人がいた。ひげ面のおっさんが向かいのソファに座ってこっちを見ている。

おっさん:「兄ちゃん、一人か?」
俺:「ええ、まあ」

ぶしつけに話しかけてこられたので少し面食らったが、非日常の気安さか俺も自然に応じていた。

おっさん:「どこから?」
俺:「Tですけど」

おっさん:「おお、俺も昔そっちに住んでたんだよ」
俺:「はあ」

おっさん:「今日はどこに行ったね?」
俺:「姫路城とか・・・」

おっさん:「どうだったね?」
俺:「さすが世界遺産は見応えがありましたね」

おっさん:「ほう」

だいぶ聞こし召しているのかやたらにこやかだった。

俺:「あと、怖い井戸がありました」

おっさん:「井戸?」

急におっさんの表情が強張った。

俺:「ええ、お菊の井戸です。番町更屋敷って姫路の怪談だったんですね。
知りませんでした」
おっさん:「へえ・・・井戸ね。怖い井戸・・・」

おっさんは小さくつぶやきながら表情を消して空中に視線を彷徨わせている。
俺はいきなりの変化にとまどい、そろそろ部屋に帰ろうかと腰を浮かしかけた。

おっさん:「怖い井戸と言えば、俺も一つ知ってるんだよ」
俺:「え?」

このおっさんはまた唐突に何を言い出すのかと思い、俺は眉を顰めた。

おっさん:「昔自衛隊の基地に荷物を運ぶ仕事をしていてね。とある大きな基地に行ったとき、許可を貰って敷地内の林を散策していると、不意に開けた場所に出てね。その真ん中に全体を鉄条網で囲った立派な井戸があったんだよ。意外な場所に意外なものがあると思って近付いてよく見てみると、半径2メートル位の鉄製の丸い縁にこれまた鉄製の分厚い蓋がしっかりと閉めてあった。所々錆びてはいたが、まだそう古い作りではなかったな」

この話は一体どこへ向かうのだろうかと思いながらも、俺は何となく聞き入っていた。
一階にいるのは俺たちだけみたいだ。

おっさん:「それでぐるっと一周してみて、おかしな事に気付いたんだ。鉄条網のトゲトゲが内側についてるんだよ」

俺:「内側?」

おっさん:「そう、おかしな話だろ?普通外から入れなくするためなのに、まるで中から出さないようにしているみたいだった。それでなおもよく見ようと金網に顔を近付けたとき、後ろからピピーッって凄い音がしたんだ。振り向くと二人の自衛隊員がもの凄い剣幕で走ってくるところだった。いきなり怒鳴りつけられてね。そのまま事務所に連行されちゃった」

おっさん:「俺は混乱してたけど何かやばいものを見ちゃったんだなと思ってとになく平謝りに謝ったよ。でもダメだった。その日の内に会社を首になったよ。今日見たことを決して漏らさないように誓約書も書かされた」

俺:「え、じゃあ僕にしゃべるのもまずいんじゃ・・・・・・」

おっさん:「かも知れないな。でももう我慢できなかった。俺見たんだよ」
俺:「はあ?」

おっさん:「夢に出てきたんだ。その井戸が」

おっさん:「もう何年も経って記憶も薄れているのに、はっきりとした形で現れるんだよ。そして見る度に近付いてくるんだ。それだけじゃない。蓋が動くんだよ。ちょっとずつ横にずれていってるんだ」

俺:「・・・・・・それ毎日見るんですか?」
おっさん:「違うよ。だから怖いんだ。もうずっと見てない。もう見ないんじゃないか。そう思った頃に出てくるんだよ」

おっさんは顔をくしゃくしゃにして言葉を絞り出していた。
最初にあんなににこやかだった人と同一人物だとはとても思えなかった。

おっさん:「だからあんたが一人でいるのを見たとき、ちょうどいいと思ったんだ。あんたに話せばきっと夢も遅くなると思った」

俺:「遅くなる?」
おっさん:「あんたと夢を分け合えるんじゃないかと思ってさ。そうして話しかけたら、どうだ。あんた自分から井戸の話をした。渡りに舟とはこのことだと思ったね」

その時は不思議と腹は立たなかった。
おっさんの切羽詰まった様子があまりに印象的だったせいかも知れない。

その夜は夢に例の井戸が出てこないか心配だったが、何事もなかった。
酔っ払いにひっかかったと旅の思い出にしてしまっていた。

今になってなぜここへ書いたか、解るよね?
続きからだった。
もう猶予はない。

なるべく大勢に見て欲しい。
夢が跡形もなく散らせるくらい大勢に。

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