1985年9月にレバノンで起きた、ヒズボラ(シーア派イスラム主義の政治組織、武装組織)によるソ連外交官4名の誘拐事件を、ソ連のKGBが驚くべき方法で解決したことを伝えた記事が話題に上っていた。
この記事はすでに30年近い昔の記事のため、当時、そういう事件が起きていたということを知る人はほとんどいないかもしれない。
しかし記事によると、1985年9月にレバノンでヒズボラによってソ連外交官4名が誘拐されるという事件が起きたのだという。
ヒズボラはソ連外交官4名と引き換えに、ソ連に拘束されている捕虜の釈放を要求してきたが事件はその後、膠着(こうちゃく)状態に陥ったことで、進展を求めたヒズボラは人質の一人を殺害した。
ところが、ソ連は同胞が殺害されたことを知ると、却って態度を硬化し、改めて強硬な手段で事件の解決を目指すこととなったのである。
そして、それを任されたのがKGBとなる。
事件の解決を任されたKGBは、ヒズボラと交渉などはせず、ソ連外交官の誘拐を行った犯人グループのリーダーを特定し、そのリーダーの甥を誘拐した。
そう説明するとKGBは、その甥と引き換えに外交官の解放を求めたと考えるかもしれないが、そうではない。
KGBはヒズボラのリーダーの甥を誘拐すると、その甥の体の器官の一部を切断し、その切断した体の一部をヒズボラに送ることで、外交官の即時解放を要求したのだという。
そして、親戚の体の一部を送り付けられたヒズボラは、KGBの手口に恐怖し、すぐに、外交官を解放したと、その記事では説明されていた。
しかし、これで終わったわけではないのである。
その記事には書かれていないが、Redditの書き込みによると、KGBは外交官が解放されたことを確認すると、誘拐したヒズボラの幹部の甥は解放せずに殺害したのだという(それもヒズボラが殺害した外交官の殺害方法と同じ手口で)。
ヒズボラは誘拐したソ連外交官の内、一名を殺害しており、ソ連も一名も殺害しなければバランスが取れないというのがKGBの論理なのだという。