部落の血筋だと昨日知った

カテゴリー「日常に潜む恐怖」

俺は忌み子だった。

俺は母と部落の人との間にできた私生児で、母が若くして亡くなり、母の妹夫婦にひきとられた。

ということを昨日知った。
もっと早くに教えてくれよ・・・。

ガキの頃、自分では家族に嫌われる理由が判らなかったので、散々莫迦なことをしてしまったよ。

小学校に上がって、兄が母に母の日のカーネーションを贈るのを見た。
母はたいそう喜んでいた。
それを見て「そうか、贈り物が必要なんだ」と悟った自分。
図工の時間に『おとうさん』というお題で絵を描いた。
思いの他上手く描けて、裏に作文を書いて校内放送で発表したりした。

父の日にそれを義父の枕元に置いた。

次の日反応をうかがったが話題にものぼらず、どうなっているんだろうと部屋を覗いたら、絵は捨てられていた。
間違って捨てちゃったのかな、夜は暗いし、なんて思いながら絵を枕元に戻し、学校に行った。

学校から帰ってきてまた確認してみると、絵は破かれて捨てられていた。
半泣きになって絵を拾った。
その晩、部屋への出入禁止が言い渡された。

次の年の母の日。
図工の時間にカーネーションを作った。

俺は前年の母の、兄への笑顔を思い出して、それだけでとろけそうになり、一目散に家へ帰った。

花を差し出すと、義母は「そうまでして機嫌とりたいの?しかもそれ偽物でしょうが」と言った。

想像もしなかった反応に、どうすればいいのかわからず「ごめんなさい」と謝って逃げた。

逃げた先の神社で俺は泣いたよ。
人の心を物で釣ろうとした自分のあさましさ、それを見透かされた恥ずかしさで。

その後せめて本物をと思って山に行ったけど、カーネーションなんてどこにも無くて、近所のスーパーで万引しようとして、そこのおばちゃんに見つかって学校に通報されたというオチ。

自分語りすまそ。
これで最後にする。

高校は特待生で奨学金とって寮に入った。
もう家には帰らないつもりでいたのだけど、じいちゃんが亡くなったので、帰った。

そしたら「お前がいるとみんなが嫌な思いをする、じいちゃんが成仏できない」とのことで、参列できなかった。
けどそのままだとあんまりだと思ったので、初七日過ぎてから線香あげに行った。

その夜、義母から電話があり、出てみると『お金が無くなった、あんた取っていったでしょう?』とのこと。

そんなの知らないと言ってみたものの、『あんたは昔から手癖悪いからねえ』と言われガチャン。

あまりにせつなすぎて死にたくなったよ。
本当に。

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