マナブ君はサンタを待っていた

カテゴリー「日常に潜む恐怖」

2008年の記事。

サンタは来なかった。
先生たちの危機感。

中学3年のマナブ君(15)は、名古屋市内の自室で首をつって死んだ。
リーマン・ショックの余波で世界経済が揺れ続けた2008年12月28日のことだ。
死ぬ3日前のクリスマスの朝、親友に電話をかけて聞いた。

マナブ君:「サンタクロース来た?」

「うん、来たよ」と親友。
「僕のところにサンタクロースは来なかったよ」そう言って、電話を切った。
遺書はなかった。

マナブ君:「先生、サンタっているの?」

マナブ君は、そんな質問をする子どもだったと小学6年の時に担任だった幸子先生(52)は言う。

幸子先生:「何度も聞いてきた。当時は変なことを聞くなぁとしか、思えなかった」

勉強が苦手だけど、「もっと漢字を書きたい」というマナブ君のために、先生は放課後も時間をとって教えた。
マナブ君は、卒業してからも先生に会いにきた。
別段用事もなく「近くに来たから・・・」と言っては、にこにこ笑っていた。

幸子先生は長年、名古屋市南西部で教えてきた。
修学旅行の積立金や教材費などを、行政が肩代わりする就学援助を受ける児童が市内でも最も多い。
半分に達するクラスもある。

マナブ君も就学援助を受けていた一人だ。
母親(42)は糖尿病や脳梗塞など複数の持病を持つ。
耳に障害のあるトラック運転手の継父(48)にとり、治療費は重荷だ。

マナブ君は4人きょうだいの上から2番目。
長男のマナブ君は、小学生のころから体の悪い母親に代わり、炊事や掃除など家事をこなした。

小学校の時の夢は、母親の病気を治したいと、医者。
それが、中学卒業後の進路希望は「家事手伝い」に変わった。

親に歯向かったのはたった1回。
「なんで、僕ばっかりなんだ」と泣いた。
死ぬ直前、母親の介護で1カ月近く中学校を休んでいる時のことだった。

「マナブがいないと家が回っていかなかった。頼りすぎていた」と母親は言う。

マナブ君がサンタクロースからのプレゼントをもらえたのは、小学校の低学年まで。
それ以来、クリスマスイブの楽しみは家族で食べる1人1つずつのショートケーキだった。

でも、その年は、ケーキさえ買えなかった。
本当にお金がなかったという。

経済的に苦しい上に地域とのつながりもなく、孤立する親と子どもたち。
そんな家庭が確実に増えていると、幸子先生は感じている。

昨年末、母子家庭の小学生が幸子先生のクラスに転入してきた。
家庭訪問すると、離婚したばかりの30代の母親は目に涙をためてこう言った。

「子どもを連れて死にたい・・・」

マナブ君は、一人追い詰められ死んでいった。
「サンタは来なかった」と言い残して。
「あの子にとっては、サンタが夢や希望の象徴だったんだ」と幸子先生は、気がついた。

先月初めて、先生はマナブ君の遺影に線香を上げに行った。
「先生、サインに気づけなかったよ」
遺影は無邪気にほほ笑んでいた。

これ読んだとき朝から鬱になったわ。

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