子供の頃住んでいた家を建て増ししたんだが、そこに面している道路は路地で夜は真っ暗。
親もその辺りは気にしていたようで、泥棒よけや中を覗かれないように窓は天井付近に大きい横長の窓をつけていた。
その部屋は雨の日の洗濯干し場兼私の部屋になったんだけど、人通りが皆無の為か室内を覗かれることが多かった。
ある日、自転車が停まる音が聞こえたので、息を殺して死角に隠れると、元から少し空けている窓を静かに少しずつ開けて中を覗く人が・・・。
恐くて叫んで親を呼んで、大騒ぎになったけど、自費で街頭をつける訳にも行かず、外から窓が開かないストッパーをつけてもらい、父が張り込んだり、近所のAちゃんのお父さんが見回りしてくれたりして落ち着いていた。
見回りついでに家で飲むことが多かったけど・・・。
翌年の夏頃からまた視線を感じるようになり、ふっと見ると窓の隙間の暗闇から目が見えるようになった。
恐くてなんとかしたくて、弟の水鉄砲に洗剤水を入れて、いつでも戦えるように準備をしだした。
ある日、自転車が停まる音が聞こえ、死角に隠れ・・・洗剤水を辺りかまわず打ち込んだ。(二丁拳銃で)
うわぁ!という声と共に、人が落ちる音と自転車が倒れる音がした。
それでも懲りないようで、2日おきくらいに来るようになった。
その頃には相手も楽しんでいるのか、わざと自転車を停める音を聞かせたり、気が付かないと咳払いをしたり・・・洗剤水→洗剤原液→ハイター水→キッチンハイター原液と水鉄砲の中を強力にしても、来るしハイター原液の日には、片言で「メガネアルヨ」と言われ、恐さと悔しさで決意した。
考えると恐ろしい事
だけど、次の決戦に備え、網戸を外しライターと殺虫剤を準備して待った。
そして時はきた。
迷わず家の窓だけは燃やさないようにいつも覗かれる窓下に隠れ、簡易火炎放射器を噴射した。
すかさず窓から覗くと服を脱いで、それで頭についた火を消しながら、自転車で逃げ去った。
数日後、母親から「Aちゃんのお父さんが、先週変質者に火をつけられて頭に火傷したんだって。明るくても4時以降は1人じゃ外に出ちゃだめよ」と注意された。
下の弟が産まれたばかりで、母親の産後の体調も悪く、その時は父親も長期出張だったので、1人でなんとかしなきゃって行動したんだけど、今考えるといろんな意味で恐ろしく・・・。
その後、Aちゃん家族はどこかに引っ越し、私の部屋にもクーラーが付いたので窓をあけることがなくなり覗きはなくなりました。