日常会話程度に韓国語をマスターしていたし、地理にも詳しい。
相変わらず忙しい店では厨房長という立場になった。
そんなある日、アパートに帰ると使ってもいない洋服が、床に頃がっていた。
そればかりか、コルクボードに貼っていた写真が1枚もない。
ゾッとしたのは、私の下着がケースから1枚ずつ玄関の方へ点々と置かれていた。
大きな違和感を感じて、従兄弟に電話を掛ける。
「今日、兄ちゃんか兄ちゃんの奥さん、うちに来た?」
答えはノー。
奥さんは妊娠中で身重だし、従兄弟は私より長い時間店にいる。
分かりきっていた事だが、もしかしたら・・・?と安心を得たくて聞いたのだが、身内は誰も部屋に来ていないようだった。
そう考えると、一気に怖くなった私は従兄弟に頼んで警察を呼んでもらった。
盗まれた物もなかったので、「何かあればまた呼んで下さい」という形で警察も帰って行き、不安で堪らず、その日は従兄弟夫婦の家に泊まる事にした。
翌日、仕事が終わり自分のアパートへ一人で戻るのが怖かった私は日本に留学経験のあるミジュというアルバイトに、一晩だけうちに泊まってくれないかと頼んだ。
ミジュは快くついて来てくれたのだが、談笑もつかの間、部屋の前で私たちは凍りついた。
アパートの私の部屋の扉に、赤のスプレーで「立入禁止」と殴り書きされていた。
「これヤバいんじゃない?」と、ミジュも怯え出し、私たちはアパートから少し離れた場所で警察に連絡した。
警察が到着し、異様な空気を察したのか、スワット(?)部隊のようなマッチョな人たちも数名、応援に駆け付けた。
離れて待つように言われ、ミジュとしばらくアパートの下で待っていると、刑事のような人が来て深刻な顔付きで私たちに何かを話した。
難しい単語が分からず、ミジュに通訳を頼むと、ミジュはあからさまに青ざめた顔で「話したら私はもう帰るから社長(従兄弟)に迎えにきて貰うよう、今すぐ電話して」と、前置きをした。
不穏に包まれながら従兄弟に電話を掛けて、ミジュに従兄弟がすぐに向かうと説明すると、ミジュは今にも泣き出しそうな顔で歯をガチガチ震わせながら「お姉さんの部屋で、男が自殺してるみたい・・・。刑事は顔見知りか聞いていて確認して欲しいので、お姉さんに部屋に上がるようにと言ってる」と。
頭が真っ白になり、一瞬にして溢れ出る恐怖で言葉も出ず「とりあえず確認は従兄弟が来てからでも構わないか?」と伝え、刑事に承諾を得るとミジュはタクシーを拾い、逃げるように帰って行った。
しばらくして、従兄弟が来たので刑事と3人で私の部屋へ入る。
すでに何とも形容し難い異臭が鼻をつき“それ”を見た私は床に嘔吐した。
横目でもう一度確認して“それ”が誰なのか見当がついた。
私が店に入って間もない頃から、頻繁に来てくれていた常連客。
名前も素性も知らないが、思い返せば、何度か食事に誘われ断っていた。
私が、思い当たる事全てを従兄弟の通訳で刑事に伝え、その夜は必要最低限の着替えや鞄だけを持ち、従兄弟宅で寝る事になった。
翌日、精神面でつらいだろうと休みをもらい、従兄弟の奥さんと昨夜の話をしていると奥さんが、話しづらそうにこんな事を言った。
「実は、あの常連客は何度も執拗に交際がしたいから取り持ってくれと旦那に頼んでたみたいなの。もちろん、旦那はアナタに迷惑が掛かるだろうと軽くあしらってたみたいで・・・」
それから私は、周りのサポートも度外視し、半月もせずに日本に帰国した。
それでも死体の顔が鮮明に何度もフラッシュバックするし、あの時、もし鉢合わせていたらと思うと未だに眠れない夜がある・・・。