俺の地元はI県の田舎町だった。
山と田んぼに囲まれたのどかな町で俺は地元が大好きだった。
十年以上前俺が小学生だった時の話から始める。
近所に小高い山?というか丘があって、てっぺんに児童公園があった。
遊具が幾つかあって高台だから町を一望できた。
小学生の頃はロケット型の背の高い滑り台に昇ってぼーっと町を眺めるのが好きだった。
その公園の奥に古い神社があってその向こうにはお墓がある。
そのせいもあってか、夕方薄暗くなるとそりゃもう薄気味悪くて、女子なんかは怖い怖いって逃げるように帰って行った。
でも俺は神社よりお墓よりも気になっているものがあった。
公園のある高台のさらにもう少し高い場所に、ひっそりと公園を見下ろすように佇む一軒家だ。
当時から廃墟好きは始まっていたのかもしれない。
俺はその家に異様に惹かれてしまった。
でも、まだ小学生だったため、好奇心より恐怖心が勝ってしまい、遠くから眺めるだけだった。
そもそもそこが廃墟なのかもわからなかった。
当時はまだ人が住んでいたのかもしれない。
それから数年が経ち、俺は中学生になった。
お盆で、家族で墓参りに行った。
さっき行った、公園の近くの墓だ。
墓の入り口は公園とは反対側にあって、墓の奥の林を抜けると神社を経て公園に辿り着く。
小さい墓地だったから水道とかなくて、俺はいつも公園まで水を汲まされに行ってた。
その日もポリタンクを持って、薄暗い獣道を抜けて、公園の水道まで水を汲みに来た。
その時もやっぱり、例の家が気になった。
さすがに中学生にもなると恐怖心も薄れ、思い切って家の近くまで近づいてみた。
森を背負うように建つその家には木々が覆いかぶさるように茂っていて、蔦も絡まってて、壁は汚れていて、雑草も生えまくり、とてもじゃないけど人が住めるような所ではない。
でも、その異様な佇まいに俺は興奮した。
墓参りが終わり、数日後、俺は先輩にメールをした。
その先輩てのが、ちょうどその公園のある辺りに住んでて、その先輩を誘って廃墟探検に行こうと思ったのだ。
先輩は「そういうの苦手なんだよなー」とか言いつつ、渋々着いてきてくれた。
長く薄暗い坂道を登って公園に着いた。
いざとなるとやっぱり薄気味悪い場所だ。
公園を背にして正面に朽ち果てた神社。
神社を囲うように森が広がり、神社の左側には墓地に続く獣道、右側奥には例の廃屋。
真夏の午後の2時過ぎだというのに、肌寒さすら感じる程不気味だった。
俺達は、恐る恐る廃屋に踏み込んだ。
幸か不幸か、鍵は開いてた。
家の中は、思ったより綺麗だった。
埃まみれだったし、蜘蛛の巣も張っていたし、汚れてはいるんだけど、物が散乱してるとか、壁や天井が崩れてるとかは無く、掃除さえすれば今でも生活できそうな程だった。
リビング、キッチン、風呂場と、順番に探索するが、目ぼしいものは何も無い。
まあ、こんなもんだろうと思って二階に上がる。
二階には書斎みたいな所と寝室、さらにその奥に部屋があった。
書斎には、本が山のように積んであった。
それと中学生の俺でもわかるような文豪の写真が引き伸ばされて数枚飾ってあった。
太宰治、芥川龍之介、三島由紀夫等の写真が壁にズラーッと並んでてこれはこれで不気味だった。
俺がこの家を文豪の家と言うようになったのはこれが理由。
まあ書斎にもこれといった物は無かった。
寝室にも注射器があっただけで、俺達は最後の部屋に入った。
その部屋だけは南京錠をかける部分があったんだけど、幸い鍵は無くて、すんなり開いた。
開いたんだけど、開けなきゃよかったと思った。
そこはまんま、牢屋だった。
鉄格子みたいなので窓は塞がれてるし、鎖みたいなのもあった。
床は畳なんだけど腐ってて、とにかく臭かった。
なんだこれ??と、俺が呆然としてると、先輩が「座敷牢だよ。頭おかしい奴を閉じ込めとくんだよ。昔は精神病院とか無いから。うちにもあるぞ」と、淡々と語った。
今では病院に入れるけど、昔は座敷牢に閉じ込めてたんだと。
一気に気持ち悪くなった俺は、先輩に苦笑いされながらそそくさと退散した。
それから何度かその先輩と遊んだが、二度とあの家には近づかなかった。
でも、まさかあんなことになってるとは思わなかった。。
それから10年近く経ち、俺はとある理由で大学を辞め、実家の商店で働いてた。
この頃から俺はカメラにハマっていて、御察しの通り廃墟を撮るのが趣味だった。
県内あちこちの廃墟の写真を撮りまくっては、それをアルバムにするのが楽しみだった。
その頃ちょうど、例の児童公園の遊具が、老朽化で取り壊されることを知った。
灯台下暗しというか、そういえば今までこの公園の写真を撮ったことは無かった。
俺はカメラ片手に自転車に跨り、10年ぶりにあの公園に来た。
子供の頃は遊びも夢中だったから気にならなかったが、大人になってみて思ったのは、大人の足で自転車を漕いでも10分以上かかるし、さらに100メートルはある、長い坂道を登らなきゃならないような場所によく毎日のように通ったなと。
息を切らしながら坂を登り切り、しばらくベンチで休憩してから何枚か写真を撮った。
この時は、例の家の事なんか風化しかけていて、気にも留めなかった。
それよりも、なんだか妙な居心地の良さを感じて、俺はそれ以来、ジョギングがてらその公園に立ち寄るのが日課になっていた。
その日もいつものように、ジョギングをしていた。
公園のある高台の麓あたりに差し掛かった時「うおぁあああああんっ」と言う、犬の遠吠えのような、サイレンのような音が響いた。
それが立て続けに3、4回続いた。
音は、麓に立ち並ぶ数件の民家のどこかから聞こえた。
犬を飼ってる家が多かったから、病気の犬かなんかだと思ったけど、聞いたことない音にビビった俺は、その日は公園には寄らず家に帰った。
家に帰って、俺はその音の事を母親に話した。
すると母親は「ああ、りゅうくん(先輩、仮名)帰ってきてるんだ。すごい声だったでしょう」と淡々と話した。
状況がわからなかったが、母親が言うには、先輩は俺が高校ぐらいの時に精神的な病にかかり入院しているらしい。
そして、たまに帰宅許可を貰って帰ってくるんだそうだ。
俺はショックで言葉を失った。
よりによって先輩が。
俺はそれから3日ぐらいジョギングを休んだが、落ち着いたので再開することにした。
再開して2日後ぐらいだったと思う。
いつものように長く暗い坂道を登っていると、中腹ぐらいに差し掛かった時、前方に人影が見えた。
逢魔が刻(おうまがとき)って言うの?
※【解説】〈逢魔が刻(とき)〉と呼ばれた昼と夜の境の夕方と明け方に,妖怪はこの世界に出入りするとされている。
薄暗くて、ぼんやりとしか見えなかったけど、人影はゆっくり坂を下ってるようだった。
でも、登ってるようにも見えた。
近くまで来ると、それはパジャマ姿の先輩だった。
先輩は、完全に空を見上げたまま、ボソボソ何かを呟きながら、一歩進んで、二歩下がるを繰り返していた。
だから、体は下りを向いてるんだけど、後ろ向きに少しずつ登ってる状態だ。
俺は思わず泣きそうになった。
いろんな感情が一気に襲ってきた。
先輩は少しずつだけど坂道を登っていて、俺はそれを見守ることしかできなかった。
情けない話、その場から逃げたしたかった。
怖かったんだ。
とにかく。
何度か話しかけてみたけど返事はなくて、そうこうしてるうちに頂上が見えてきた。
ふと俺はあの夏の探検を思い出し、例の文豪の家に目をやった。
坂の終わりのさらに先に、その家は変わらずに佇んでいて、こちらを見下ろしていた。
あの時よりもさらに鬱蒼と生い茂った木々と、朽ち果てた壁面のせいで、最早家の原型はなくて、二階の窓ガラスが辛うじて確認できるぐらいだった。
あの窓は寝室だな、なんて思っていると、先輩が急に立ち止まり、体を左右にひねり出した。
グルングルンと、ラジオ体操のように。
そして、空を見上げたまま「うぉあおおおおおおおおおおんっうぉあおおおおおおおおおおんうぉあおおおおおおおおおおんっ」
俺は全身が硬直して、息もできなかった。
ちょうど先輩の背後に例の家があって、まるで家が先輩を叫ばせているような風にも見えたし、逆に家が叫んでるようにも見えて、戦慄した。
俺はたまらなくなって、先輩を置いてダッシュで家に帰った。
今思い出すだけでも心臓がバクバクする。
結局あの後一年ぐらいして、先輩は亡くなってしまった。
死因は教えてもらえなかったけど、教えられないような亡くなり方だということは確かだ。
今ではあの高校も取り壊されて、家だけが残ってる。
でももうあの家に近づこうとは思わない。
最後にひとつ。
付け加えるほどでもないかもしれないが、思い出した。
あの家の書斎で、集合写真みたいなのを見つけた。
白衣の男女と、車椅子の男女が数人並んでて、その中の1人を指して先輩が「あ、ばあちゃんだ」、と言ったんだ。
それが白衣の方だったのか車椅子の方だったのかは忘れたけど。
まあ、関係ないと思うけど一応。