呪いのレコード

1900年頃、ロシアのペテルベルクにある雑貨商がいた。
彼は当時まだ珍しかった
蓄音機とレコードを商っていたが、その頃のレコードはダンス音楽やブラスバンドや俗謡しかなく売り上げも伸びなかった。

そこで彼は英国グラモフォン社にある企画を提案した。
それは、ロシア帝立オペラの歌手にレコードを吹き込ませて商品にしようというものだった。
彼の懸命の説得もあって帝立オペラの歌手たちは録音契約に応じ、レコードは大ヒットとなった。

彼はこれによって少なからぬ金を手にしたが、その金でさらに商売を拡大するために、彼自身の録音スタジオとレコードのテスト生産設備をつくった。
ますます商売がうまくいくかと思ったある日、彼は惨殺死体で発見された。
警察の調査も行き詰まり事件は迷宮入りとなった。

彼の録音スタジオで録音された原盤やテストプレスされたレコードも持ち去られており、それらの行方も不明であった。

それから何年もたったロシア革命前夜のある日、キエフ在住のコレクターであったソビーノフは珍奇なプライベート盤のレコードを入手したと友人らに報告しているが、直後に彼はきわめて恐ろしい状態で急死したとされている。
革命の混乱あって死因の詳細や、彼が入手したレコードが何であったかも含め不明である。

1930年代の中頃に米国ピッツバーグで鉄工業を営んでいたマックモリスは、判読が難しいロシア語の手書きレーベルの古いレコードを入手したとコレクター仲間に報告しているが、これも直後に自社の工場内の事故で亡くなっている。

大正期に東京神田の古レコード屋に手書きの不明なロシア語のレーベルのレコードが出たということを作家でレコード評論家の野村胡堂がエッセイに記しているが、直後に関東大震災が起きてしまい神田界隈は焼けてしまった。
焼けた商店の在庫レコードがコークスの固まりのようにくすぶっていたとこれも野村胡堂が記している。

他にもアメリカや英国で、判読が難しいロシア語の手書きレーベルのレコードが古物商の
店頭やオークションに出たという話はあるが、いずれもコレクター同士の話題で一般には
伝えられていない。

現在良く言われていることは、それらのロシア製の古いレコードは死んだ雑貨商のもので
はないかということである。
ただし、その録音された内容がどんなものであるか書き残されているものはない。

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