鐘を鳴らしてしまった

カテゴリー「怨念・呪い」

あたり一面山だらけ。
どこを見渡しても山ばかりという地方の出身です。

小さい頃からお世話になっていたお寺に『鐘』がありました。
『鐘』と書いたのには理由がありまして、それは布と縄でぐるぐる巻きにされていたからです。
鐘を撞く丸太もついていません。
なので、ある程度の年頃になってアニメの一休さんなどを見るようになり、寺の隅の屋根つきの一角にあるべきものは鐘なんだな、ということがわかるようになりますと、そのぐるぐる巻きの中身は鐘なんだろう、と感じるようになるというくらいで、誰も中身を見たことはありませんでした。

小学生くらいの時には両親に、「なんでぐるぐる巻きなのー」と聞いた記憶はあるのですが、両親も由来など詳しいことを知らず、自分たちが両親が子供の頃からぐるぐる巻きであり、『ぐるぐる巻きの鐘』と呼んでいたとのことです。
当然中身も見たことがないということです。

すっかり時が経ち、私は大学進学のため実家を離れます。
夏休みに帰省をすると、田舎と言えど自分の家の周りにも、多少は開発の手が伸びていました。

昔自分の部屋であった場所、今は物置となりつつあるのですが、窓際から景色を見てみると昔とは眺めが変わっており、自分の部屋から『鐘』のお寺を見ることができました。
お寺は山の上のほうにあるのですが、自分の部屋からは裏の里山が邪魔をしていて、昔は見えなかったことを思い出しました。

『そうか、虫を取ったりアケビを食べたりしたあの山も無くなってしまったか』、と寂しがりつつ、
窓から寺を見ていました。

寺は遠いので、自分の家からだと親指の爪程度の大きさに見えます。
夕飯時に、「裏山がなくなって寺が見えるようになったんだね」という話をしました。
すると両親からは、自分が大学に入った直後くらいに無人化してしまい、法事と祭りの時だけ、別の大きなお寺から僧侶を呼んでいる、と教えられました。

ある夜のことです。
一人暮らしに慣れてしまったせいか、自分の部屋だというのに枕が合わないような気がして、なかなか寝付けない日がありました。
そのとき「ぐうん」と、低い低い音が聞こえました。

鐘の音?と思い窓の外に目をやります。

満月に近い月の出ている夜でしたが、遠く離れた寺の鐘の様子など肉眼では見えません。
10秒ほど見つめていると、ほんの一瞬だけ人工的な光がチラッと目に入りました。
気になって、小学校のときから使っていた勉強机の引き出しを開けます。
母親が捨てていなければ、とそこにあるはずの双眼鏡を探します。

双眼鏡は昔のまま、そこにありました。
ほこりがついたレンズを覗き込むと、倍率は低いのですが、暗がりの中にぼんやりと動く人のようなものが見えました。

3名ほどの人間が、鐘撞き小屋のところで何かしているようです。
懐中電灯を持っているようですが、覆いをしているのか、時折周囲を照らすだけで、様子がはっきりとは見えません。
見たところ、3人がかりで地面に鐘を降ろしたようです。

先ほどの音は、地面に落とした時の音でしょうか。
どうやら、鐘撞き小屋から鐘を出せないでいるようです。

この鐘撞き小屋には、屋根と屋根を支える四方の柱があり、壁はありません。
しかし壁の代わりに、その四方の柱同士が水平の柱でつながれています。
水平の柱は四方のすべての方向につけられていますので、それが邪魔をして鐘撞き小屋から鐘を出せないようでした。

当時は金属の盗難が流行する前でしたので、何をしているかわからず、私はただその光景を見ていました。
パジャマで双眼鏡のレンズを拭き、暗闇にも目が慣れてきました。
連中は鐘に巻きつけられた縄に木の棒を通し、2人で棒の前後を持って持ち上げるようです。
鐘撞き小屋から出たか、というところで鐘が落ちました。
2人が耳を押さえます。

私がその光景を見た3秒後くらいに、「ごうん」という音が聞こえてきました。
鳥が飛び立つ音、犬が吠える声も聞こえます。
窓から見える家のいくつかに灯りがつきました。
それを見てまた双眼鏡に目を戻すと、連中の姿は消えていました。

次の日の朝、といっても私は昼近くまで寝ていたのですが、母親から「昨日の音、聞いた?」と聞かれました。
洗いざらいを説明するのが面倒だったので適当に答え、また部屋に戻ると双眼鏡を覗きます。
鐘撞き小屋のところに何人かの人が集まっている様子だったので、何かおもしろいことはないかと、スーパーカブに乗って現場に向かいました。

境内には白い『わ』ナンバーのバンが乗り付けられていました。
そして、鐘撞き小屋の一段高くなったところの下に鐘が落ちていました。
警察の検証は終わったようで、犯人は車を捨てていなくなったとのことです。
盗られたものもなく、近隣の警察と寺、自治体に連絡しておく、とのことでした。
その一方で、僧侶の代わりに日ごろの運営をしている村の消防団の人たちが、鐘をどうするか、という話をしていました。

「もう1回かけるか」

「もうこのままにしておいたらどうか」

その話し合いを遠巻きに見ている人々の中に、A君のおばあさんがいました。

A君は、小学生の頃に一家で村から引越していったのですが、おばあさんだけが残っていました。
自分は既にA君と音信不通でしたが、おばあさんは孫と同い年の自分に良くしてくれるので、この年になるまで、ときどき家に遊びにいくという関係が続いています。

俺:「お久しぶりです」

婆:「俺ちゃんか。泥棒じゃないかって。嫌な世の中だね」

俺:「鐘なんて売れるんですかね」

婆:「戦後は鉄くず屋が来て、自転車でも買っていったもんだけど」

俺:「なんでも鑑定団なんかに出そうとしたのかな」

婆:「ごぜさんの鐘だなんて、お金もらっても欲しくないわ」

俺:「ごぜさんの鐘?」

おばあさんから教えてもらったことによると、このあたり一帯では昔、盲目の子供が生まれると、男も女も『ごぜさん』に貰われていったとか。
男はまた別のグループに引き渡され、女はごぜさんとして一生を送ったそうです。
この鐘は、遠い昔には普通の鐘として使われていたものが、いつしかごぜさんを呼ぶ合図の鐘として用いられるようになった、ということでした。

その日の夕食、両親との会話の中で、ごぜさんの鐘の話になりました。
父親は役場勤務のため、嫌でも耳に入ったようです。
私が「ごぜさんの鐘」というと、両親とも「え」という顔になりました。

父:「ごぜさんの鐘?」

俺:「そう。ごぜさんの」

母:「誰から聞いたの?」

俺:「A婆から」

父:「嘘だ~。本当にあったんだ。あれが?ぐるぐる巻きの」

母:「ねぇ。小さい頃は聞かされたもんだけど」

両親の話によると、ごぜさんの鐘とは、確かにごぜさんを呼ぶもの。
ただし鐘が鳴るのは、盲目の子供が生まれた場合に限らない。
寒村では子供を育てるのに厳しい年もあり、口減らしをしなくてはならないこともあったとか。
育てられない子供が出てしまった家では、両親が子供の目を潰し鐘を撞いたそうだ。

ごぜさんの旅は辛くとも、娯楽の少ない時代、行く先々では大切にされたそうだ。
そのうち、子供の目を潰すことができなかった両親が、鐘撞き小屋に子供を置き、ごぜさんの鐘をついて、連れて行ってもらうのを待つようになった。
当然ながら、ほとんどの子供は凍死する。
住職は、数え切れないほど多くの子供が冷たくなっているのを見つけ、その服を鐘撞き小屋の柱に巻いて弔ってやった。

そのうち、ごぜさんの鐘の周りで子供の霊を見たとか、遭難したごぜさんの列が歩いているのが見える、とかいう噂が広まり、風の強い日には、両手で耳を塞いでもごぜさんの鐘の音が聞こえる、と言って発狂するものまで出た。

これではということで、鐘撞き小屋に残されていた子供の服と荒縄で鐘をぐるぐる巻きにして、二度と鐘の音が鳴らないようにしたんだそうだ。

両親とも子供の頃から、ごぜさんに連れていってもらうよ!という意味の脅し(悪いことをした子供への警鐘)として、「ごぜさんの鐘鳴らすよ!」という言葉と、上のような背景は聞いていたものの、まさかあの鐘が本当にそうだとは思っていなかったそうだ。

この一軒があってからもずいぶん経ちますが、改めて思うことがあります。

日本から昔のままのごぜさんが廃れて久しい。
歌や風習を伝える人はいても、本物のごぜさんはもういない。
日本のどこを探しても、ごぜさんが歩く列は見られない。

しかしあの夜、ごぜさんの鐘を盗もうとした連中は鐘を鳴らしてしまった。
果たしてごぜさんは来たのだろうか。

どこから?
来たとしたら、連中はどこかへ連れて行かれたのだろうか。

警察の追跡を恐れて逃げ出しただけなのか。
それとも。

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