イソップ寓話のアリとキリギリス。
キリギリスのように、将来の危機への備えを怠ると、その時が訪れたときに困ることになる。
という教訓の話として語られるが、もともとは、アリのようにせこせこと貯めごんでいるものは、餓死寸前のものにさえ手を差し伸べないほど冷酷で、独善的なケチであるという話である。
アリとキリギリスの話を簡単に説明すると、アリは冬に備えて夏の間は食料を蓄えるために働き続け、キリギリスは夏の間中、歌を歌って楽しく過ごす。
そして最後に冬がきて・・・。
最後の冬の内容が世代によって違う。
最近は、最後はアリがキリギリスに食料をわけ、お礼にキリギリスがバイオリンを演奏する話とされている。
この終わり方であれば、将来の危機への備えを怠るなという教訓で納得できる。
しかし、もともとの終わり方は違う。
こちらの終わり方に馴染みあるという世代もあるだろう。
冬になり、蓄えのないキリギリスは、アリに助けを求めるが、「夏は歌っていたんだから、冬は踊ったらどうだ」と追い返しキリギリスは餓死してしまう。
これも、将来の危機への備えを怠るなという教訓を含んでいるが、イソップ寓話の始まりを知ると違う教訓が現れる。
イソップ寓話は、紀元前6世紀にアイソーポスという奴隷が話していた寓話が始まりである。
アリとキリギリスという話は、「アリとセミ」という話で語られ、貴族富豪は、餓死寸前のものにさえ手を差し伸べないほど冷酷で、独善的なけちでアリのようだと揶揄し、そういった者に助けを求めてもムダだという教訓の話だった。
時代とともに、地位や名誉あるものは慈悲深いと解釈させるために、今のようにアリがキリギリスを助ける終わり方に改変されたが、慈悲深さの部分は、現実とかけ離れているため理解されず、将来の危機への備えを怠るなという教訓だけが残った。