第一次世界大戦中の1917年にポルトガルの小さな町ファティマに聖母マリアが姿を現し予言を残した。
この出現と預言をローマ教皇庁が奇跡として認めいる。
■始まりの1916年
ファティマに住む3人の子ども(ルシア、フランシスコ、ヤシンタ)の前に、「平和の天使」と名乗る14~15歳ぐらいの若者が現れ、祈りの言葉や祈り方を教える。
■1917年5月13日~
3人の子どもたちの前に「聖母マリア」を名乗る婦人が現れる。
毎月13日に会いに来るように言われた3人の子どもは、婦人に合い続ける。
そしてさまざまな予言を3人に伝えた。
■1917年10月13日聖母マリア最後の出現
聖母マリアの噂を聞き集まった一万人の群衆の前で太陽が急降下や回転を始める。
群衆を解散させるために動員された山岳兵部隊もこの様子を確認しており、この様子は居合わせた新聞記者たちによってポルトガル中に報道された。
しかし天文台では太陽の異常行動が確認されてなく、居合わせてた全員が幻覚を見せられていたことになる。
ローマ法王の元、行われた調査でカトリック教会もこの軌跡を認定した。
■3つの予言
子どもたちが伝えられた予言は大きく分けて3つあり、第一の予言「死後永遠の地獄」、第二の予言「世界大戦の終焉と勃発」。
そして聖母マリアから1960年まで公開してはいけないと厳命されていた第三の秘密。
第三の秘密はルシアにより文書化されヴァチカンで封印されることになる。
第一の予言は真偽はわからないが、第二の予言については的中することとなった。
■1967年5月13日
パウル6世とルシアにより第三の予言が公表されるはずであったが、その内容を見たパウル6世は恐怖のあまり失神し公表は中止となる。
その後再び封印されることとなる。
■2000年5月13日
ついに第三の予言の内容が公表された。
予言の内容は1981年に起きたヨハネ・パウロ二世の暗殺未遂事件についてだった。
これは長い間封印され、パウル6世が恐怖で失神し、公表を中止するほどのものなのだろうか。
本当は別の予言で、予言にある事件事象はまだ起きていないのではないだろうか。