ファティマに現れた聖母が残した3つのメッセージ(予言)の最後の1つ。
啓示の第三部について聖母が発表を命じた1960年になっても教皇庁は公表しなかったために、メッセージの中身について、憶測を呼び、様々な噂が乱れ飛んだ。
1981年5月2日には、アイルランド航空164便がハイジャックされたが、犯人はカトリック修道士で、要求は「ファティマ第三の秘密を公開せよ」であった。
また、60年代になってこの記録を閲覧したローマ教皇ヨハネ23世はその内容に絶句し、再度封印してしまい、続いて次代の教皇パウロ6世も再度封印を解いたが、そのあまりの内容に、数日の間、人事不省になったという。
こうした経緯の後で、2000年5月、教皇庁は、1960年以来、40年間発表を先送りにしてきたファティマの第3のメッセージを正式に発表した。
また、教皇ヨハネ・パウロ2世は、2005年2月23日に著作「記憶とアイデンティティー」においてファティマのメッセージの全容に関する解釈を開示し、その内容を1981年5月13日の教皇暗殺未遂事件であったと規定し、背後に20世紀に生まれた暴力的なイデオロギーに属するしっかりした組織があったと述べ、更に2005年4月に発表された遺言において核戦争なしに冷戦が終結したことを神の摂理として感謝している。
ただし、2000年に発表された文章は前の二つの預言と比べると矮小が過ぎること、前述したように40年に渡って隠匿され、60年代には当時の教皇が絶句したり発表を見送ったりする内容とはとても思えないこと、公開された「第三の秘密」は一群の兵士達によって、白衣の司教ら大勢の高位聖職者達が射殺される、とあり、1981年の事件とはあまりに食い違うことから、疑問を投げる向きもある。
また、「第3の預言」の内容を知っているルシアが、「それはほんの一部で、バチカンは嘘をついている」と司法省に提訴したことでも明らかである。
調停によって両者は和解(ルシアの「バチカンは嘘をついている」を認めたこととなる)したが、内容を知るルシアは2005年に97歳で死去した。
すなわち、発表は虚偽、あるいは全体像ではなく一部像に過ぎないのではないか、とする声で、彼らの主張によれば、第三の秘密はまだ本格的には未公開である、とする。
ファティマの聖母とは、カトリック教会が公認している、ポルトガルの小さな町ファティマでの聖母の出現譚の一つである。
他の伝説との違いは、これをローマ教皇庁が奇跡として認め、第三の予言を長年にわたり秘匿したことである。
1916年春頃、「平和の天使」と名乗る14-15歳位の若者がファティマに住む3人の子供(ルシア、フランシスコ、ヤシンタ)の前に現れ、祈りのことばと額が地につくように身をかがめる祈り方を教えた。
その後も天使の訪問は続いた。
1917年5月13日、ファティマの3人の子供たちの前に謎の婦人が現れ、毎月13日に同じ場所へ会いに来るように命じた。
子供たちは様々な妨害にあいながらも「聖母マリア」と名乗る婦人に会い続け、様々なメッセージを託された。
聖母からのメッセージは大きく分けて3つあった。
・死後の地獄の実在:多くの人々が罪な生活、傾向によって、死後地獄へ導かれている。
肉欲や傲慢など現世的な罪から回心しないままでいることにより、人は死後、永遠の地獄へと行く。
具体的に、聖母はこの少女ら3人に7月13日、地獄のビジョンを見せ、彼らはそのあまりの光景に戦慄した。
地獄は神話ではなく実在し、そこは全ての人が死後行く可能性のあるところで、入ったが最後、二度と出ることはできない。
・大戦争の終焉と勃発:第一次世界大戦は、まもなく終わること。
しかし人々が生活を改め罪を悔い改めないなら、さらに大きな戦争が起き、沢山の人が死に、そしてその多くが地獄に落ちてしまうこと。
その前兆(次の戦争)として、ヨーロッパに不気味な光が見えるだろう、ということ。
(1938年巨大なオーロラがヨーロッパに観測され、その直後、第二次世界大戦が勃発した。)
・秘密:聖母マリアは、1960年になったら公開するように、それまでは秘密に、とルシアに厳命した。
その内容は「ファチマ第三の秘密」と呼ばれ、ルシアを通じて教皇庁に伝えられたが、1960年が過ぎても教皇庁は公開せず、2000年になってから発表に踏み切った。
それは教皇庁によると、教皇暗殺の危機だとされる。
1981年5月13日(なおこの日は、後述するファチマの出現の記念日(1967年5月13日制定)だった。)の事件をヨハネ・パウロ2世は、東欧の政権による暗殺未遂と発表している(前述)。