靖国神社の鳥居の都市伝説

英霊や従軍時に亡くなられた方々を祀る神社の鳥居にまつわる噂。

靖国神社の第一鳥居は当初1921年に建てられたが、老朽化が進んだことにより大戦中に撤去。
物資の不足により金属製鳥居の再建は叶わず、木造の仮鳥居を建てる。

現在の大鳥居が建てられたのは1974年。
元軍人や英霊の遺族など軍関係者の個人寄付により日本最大級の規模での再建が叶う。
鉄を主体とする耐食に優れた合金が外面を覆い、柱の内部には強度を増すためにコンクリートが充填されている。

この第一鳥居であるが、噂によると金属部分は大戦中に作られた砲弾が原材料となっていると言われる。

靖国神社の第二鳥居は1887年(明治20年)に大阪砲兵工廠で鋳造されたもので、青銅製の鳥居としては日本一の大きさを誇っている。大阪砲兵工廠は当時トップクラスの技術を有するアジア最大の軍事工場として、火砲を主体する兵器の製造や様々な金属製品の製造を担たった。
継ぎ目のない青銅製の第二鳥居の製造には大阪砲兵工廠の高度な技術が使われている。

明治大学生田校舎は生物化学兵器の開発や偽札の製造にあたった陸軍登戸研究所跡に所在しており、校舎へと続く生田坂を登ってすぐの所に弥心神社がある。

弥心神社は登戸研究所時代に実験中の事故で亡くなった所員の霊を祀るため、東京の陸軍科学研究所内の神社より分祀された。

この神社の鳥居は黒茶色に近い色をしており、通称『黒鳥居』とも呼ばれている。
キャンパスでは軍服を着た幽霊を見たと言った怪談話が伝わっているためか、鳥居が黒い理由は亡霊を封じるためと噂される。

軍関係の鳥居は朱色ではなく黒っぽい理由であるが、殉職者を祀っていることを象徴するために、軍人の墓標として大砲をイメージしているためと考えられる。

大砲は軍人のモニュメントとしての意味合いが合って、明治大正期には軍人のお墓のデザインとして本物の大砲が使用されたり、砲弾型の墓碑が建てられたりしていた。

靖国神社の第一鳥居に砲弾が使われているという噂からも、軍関係の鳥居は英霊を祀る墓標として火砲をシンボライズしている。

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