狐憑きで思い出した。
昔働いていた病院で先輩に聞いた、私が入る前の話。
神経内科もある内科病棟だったんだけど、髄膜炎(ずいまくえん)という名目で一人の女性が入った。
でも、検査では病気を示す値はほとんどでなかったらしい。
目は完全にいっちゃってて、ずっとうなり続けていて言葉が通じない・・・。
たまにしゃべると意味不明・・・。
点滴を引きちぎる、拘束の紐も引きちぎる、医者にも看護婦にも家族にも噛みつく、夜中に遠吠えする・・・。
いきなり誰も追いつけないようなスピードで廊下を走り出したり、ベッドの上で正座したままとんぼ返りをする、ともうむちゃくちゃ。
スタッフ全員、はっきりと口には出さないけれど、『これはもう医者の領分ではないんじゃあ』と感じていたそうだが、医局長だけが「あれは髄膜炎だよ」と言い張り、坊さんも祈祷師も呼ばれることなく治療を続けたそうだ。
で、ある日突然、文字通り憑き物が落ちたように正気に戻り、あっという間に退院していったらしい。
後日、病院に挨拶に来たところを、ちょうど私も見かけたんだけど、着物着た上品そうな奥様で、ぜんぜん聞いてたような気配はなかった。
もしかしたら本当に髄膜炎で、治療が功を奏してよくなったのかもしれない。
でも、夜中にらんらんと光る目で、「お前の背後に狐がおるぞ」と言われてしまった先輩は、挨拶されても、引きつった笑いしか返せなかったそうだ。