ある日のこと。
教会に来る信者さんで、ホームヘルパーの仕事をしている田中さん(男・仮名)に一緒に行ってほしい家があると頼まれた。
老人の一人暮らしなのだがどうにも薄気味悪く、一人だと神経がまいってしまうらしい。
親父に一応相談すると「行ってあげなさい。」と言われたので、お礼のガストでステーキに釣られて手伝いに行った。
ご老人は80歳くらいのおじいさんで古い県営の住宅の4階に一人で暮らしていた。(表記は501号室)
田中さんの話ではもう県営マンションができた時からここで暮らしているらしい。
県営マンションのほとんどは空き家。
正面に同じくらいの大きさのキレイなマンションが建っているとこを見ると、順番に取り壊して新しいのを建てる計画があるのだろうと、なにもしらない俺でも想像できた。
エレベーターで4階に移動して501号室にむかうと、奥の部屋の半開きのドアがバタンと閉まった。
空き家だらけだと思っていたが、わりと人が住んでいるんだなと思ったが、田中さんはそのドアの閉まった部屋の前で止まった。
そして書類ケースから鍵を取り出し、チャイムも鳴らさず鍵を開けて「おじいちゃーん」と元気良く部屋に入っていった。
部屋の中にはおじいさんが一人で寝ていた。
昼間なのにカーテンを閉め切って、真っ暗な部屋の中は正直、汚物の匂いで充満していた。
田中さんは慣れた手つきで窓を全開にして、換気扇を回すように僕に指示した。
「おじいちゃーん」と大きな声を出しながら布団をめくり上げると中からハエ数匹飛び出した。
おじいさんは「あうあう」と言った声を出して田中さんに応えている。
田中さんはおじいさんの下の世話を手際よく片付けると、うまく寝返りさせてシーツをスルリ抜き出した。
まとめて大きなビニール袋に入れると「替えのパジャマとシーツを車に取りに行ってくるよ」と言って部屋を出て行った。
俺はおじいさんに話しかけることで、このなんとも言えないやりきれない思いをぬぐおうと、おじいさんのそばに近づいて「おじいちゃん!はじめまして!」と大きな声で話しかけた。すると驚くことにおじいちゃんははっきりとした口調で「殺してくれないか!」と訴えてきた。
その声のトーンは「あうあう」と言っていたおじいさんの声ではなく、50才くらいの立派な男の人の低くて太い声だった。
俺はびっくりしてしまって、ただ立ちつくしていた。
すると田中さんが走って息を切らせて帰ってきた。
汗びっしょりの田中さんに「どうしましたか?」と聞くと「なんでもない。なんでもない。」と答えるだけだった。
その後は新しいシーツを敷き、パジャマを着替えさせてご飯を食べさせて帰る事になった。
帰り際に体をふくタオルやぞうきんといった小物類を台所で洗って、ベランダに干して帰った。
「さようなら!」と大きな声であいさつすると、おじいさんは「あうあう」と答えた。
ガストでステーキをご馳走になりながら田中さんと話をした。
少し迷ったが、田中さんが口を開くきっかけになればと、おじいさんが「殺してくれないか」といったことを話してみた。
すると、せきを切ったように田中さんがあの部屋でいろんな不思議なことが起こると話はじめた。
やはりキリストの教えを疑うようで、俺に話していいか迷っていたらしい。
ホントは親父に相談したかったが、とりあえず俺に体験させることでワンクッション入れようと考えたようだ。
田中さんが見る現象でもっとも頻繁なのが、おじいさんがマンションから飛び降りているところが見えることらしい。
マンションの外からおじいさんの部屋を見ると、おじいさんが飛び降り自殺をしているのだ!
駆けつけると下に死体はなく、部屋に入るとおじいさんは寝ているらしい。
この現象は田中さんの前任者、その前の前任者、ホームヘルパーの主任さんと、たくさんの人が見ているとのこと。
そして目撃者はご近所にもわたり、今やこの県営マンションがほとんど空き家状態。近所でも噂になっているという。
教会に帰ってこの話を親父にすると「死にたがっている生霊というわけだな・・・」と答えた。
どうしたらいいと思う?と親父にたずねてみた。
「どうしようもないだろう。願いを叶えてあげるわけにはいかないのだから」
俺はなんとも言えないせつなさと怖さを感じていた。
もしおじいさんが老衰で亡くなっても、生霊はホントの霊となって消えないのではないだろうか?
時間にプライドと羞恥心は破壊され、なにもできなくなってもなお、孤独に生き続ける。
常識に強要されている悲しい人間のぶつける場所すらない、怒りと怨みはどんな「負」を作り出していくのだろう・・・
そして今は高齢化社会。
我々の未来は「負」をさける術を持たない。