それはその帰り道の出来事。
戦前の田舎町ですから皆に都合の良い場所を選ぶとは言え、自分の家からは歩いて一時間近くある。
その道の途中に葦の原をはしる一本の長い道があった。
その日も男はほろ酔い加減でこの道を歩いていた。
すると、道の向こう側から提灯も持たずに若い女の人が歩いてきた。
『こんな夜遅くに若い娘っ子が出歩くとは無用心極まりない。』
男はそう思い、ものめずらしさも手伝ってその娘に一言声をかけようと思いたった。
娘は暗い道の向こうからだんだんと近づいてくる。
上品な足取りが夜にほんのりと浮かび上がる白い着物にとても似つかわしかったそうだ。
カラン・・・・コロン・・・・
「もし、娘さんや・・・」
手にぶら下げていた提灯をかざした時、男は絶句した。
口の伸びた顔、釣りあがった目、大きな耳、夜風に揺れる長く白いひげ。
それは狐だった。
声にもならぬ叫びをあげ、一目散に家に帰ったと言いう。
家に着いたとき、草履が両足とも脱げていたということからその慌てぶりがうかがえよう。
このことを村で一番歳を取っておられたご老人に話すとその人は言ったそうだ。
ご老人::「ほう、あんた、会ったのかい。近頃とんと聞かなくなったが。そうかまだいたのか。わしらの若い頃は、しょっちゅうと言うわけでもないが、この時期になると必ず一人は見たというものがおったよ。なぁに、気にすることはない。見たものに難がふりかかったものは一人もおらんよ。逆にありがたく思ったほうが良いくらいじゃ。ほれ、わしだってこの通り、この歳になっても腰ひとついためておらん。」
翌年、男に念願の元気な男の子が生まれました。
僕の父です。