やもめ男の話
山を歩いていると、若い女が立っていた。
それは死んだ妻だった。
彼が呆然としていると、女は背を向けて森の奥に歩いていく。
慌てて女の後を追いかけた。
藪を掻き分け、どれくらい走っただろうか。
女が立ち止まった。
その肩に手を伸ばそうとした瞬間、彼の耳元で悲痛な声が響いた。
『わたしじゃない!』
はっと手を引っ込めると、自分が崖の縁に立っているのに気付いた。
宙に浮いた女が振り返った。
目も口もない真っ黒な顔だった。
その姿は滲んだかと思うと森の闇に紛れて霧散したという。
『まったく、あなたったら・・・』
山を降りる間、懐かしいぼやき声が、耳のそばで聞こえていたそうだ。