俺が経験した不可解なこと。
震災のあった年、俺は地元から県を二つくらいまたいだ街に出向してた。
クソ暑い時だったから8月か9月じゃなかったかと思う。
そんなある日の仕事帰りその街の駅前で声をかけられた。
声をかけてきたのは高校の時以来久しぶりな地元の友人。
友人は痩せてはいたけど、間違いなく同じ部活にいた『後藤』だったと記憶している。
こんな地元にゆかりもないところで旧友と会えたことにテンションが上がって飲みに誘ったが、「俺いま酒飲めないんだ」という後藤の言葉に一緒に駅前の喫茶店に誘ってコーヒーを飲んだ。
誘った手前、俺が後藤に確認して注文をして支払ったことを覚えている。
後藤との話の中心は昔のことと近況。
後藤は結婚して子供がいることも聞いた。
で、後藤はこんなことを言った。
最近病気で痩せて軽くなったせいか、自動ドアが反応してくれないことがよくある、とか、電話をすると向こうの声は聞こえるのにこっちの声が聞こえない故障が多いとか・・・。
そんな話を後藤は苦笑いしながら言っていた。
後藤が今日この街に来たのも偶然で、誰か旧友に会いたいなと思ったら、俺が目の前に出てきて声をかけたって言ってた。
いろいろ話したあとに、俺が地元に戻ったら一緒に飯でも食おうぜ、って約束して別れた。
そしてそんなことは日常の一部として忘れてた。
去年、高校の部活の同窓会があった。
そこに後藤は来なかった。
別の友人、山下に「後藤はどうしたん?」と聞くと、「後藤が死んだの知らないんか?」と驚いた顔をされた。
聞けば後藤は震災の年の夏にガンで長い入院の果てに亡くなったといっていた。
「でも俺、後藤に俺T県で震災のあった年の夏に会ったぜ?」と言えば、山下は「そんなことはありえないと思うよ」って言われた。
俺があの時会ったのは本当に後藤だったのか?
本当に夏だったのか?
山下が間違ってやしないだろうか?
そういえば後藤はなんであの街にいたのか?
病院を抜け出してきていたんだろうか?
そういえばあの時、自分の存在の薄さについて笑っていなかったか?
彼と別れるときに俺が片付けたトレイの上のコーヒーは手がつけられていなかった気がする。
後藤はあの時俺の目の前に確かにいたと思う。
でもあれは本当に後藤だったのか?
今でも俺はそのことを思い出すとモヤモヤしてしまう。