『梟橋(さらしばし)』と呼ばれた橋がある。
市内を流れる川に掛かったごく普通の橋だ。
名の由来は昔、その辺りの河原が処刑場だったところから来ているのだが、現在は銀杏橋(いちょうばし)と名を変え、刑場だった場所は小さな公園になっている。
そうして当然のごとく首のない幽霊や人魂がよく見かけられる場所でもある。
ちなみに橋の袂にはコンビニがあり住んでいるアパートから近いため時々利用する。
普段は自炊をしているのだが、その日は朝から取り掛かった大学のレポートが夕方までかかり疲れていた上に、冷蔵庫はほとんど空だった。
というわけで、行くことにした。
家から出て川沿いの土手を歩いて十分ほど。
橋は川に出た時からずっと前方に見えている。土手には青い若葉を茂らせた銀杏が所々植えられていて、途中何人か犬の散歩やジョギング中の人とすれ違った。
この辺りに住む人は橋の名前が、『首を梟(さら)す橋』であったことを知っているのだろうか。
茜色の空の下、河川敷は至ってのどかで過去にそういう場所だったという名残は無い。
そんなこんなをぶらぶらと考えている内に橋に着いた。
袂に銀杏のイラストが描かれた看板が立てられている。
それほど幅の広い橋ではないが両脇に歩道があり、花壇も据えられている。
車のためというよりは歩行者のための橋だ。
対岸のコンビ二へ引き続きぶらぶらと橋を渡る。
単騎での心霊スポット巡りを趣味かライフワークとしている身としては、この橋は行きつけの居酒屋のようなものだ。
たまのバイトからの帰り。
コンビニに行くついで。
酔い覚ましの散歩がてら。
数えきれないほど橋を渡り、処刑場であった川原を眺めた。
以前はよく心霊写真も撮れたようだ。
人魂のような光が写っていたり。
河原に石のような生首のような何かが転がっていたり。
誰かの指がでかでかと写りこんでいたり・・・と。
最後のはただの実体験だが。
フィルム式のカメラが減ったせいか近頃めっきり聞かなくなった。
元梟橋の上を歩きながら周りを見回す。
妖しいモノは何も見えない。いつものことだが、もう癖になってしまっているのだ。
それに、行きは駄目でも帰りは何か見えるかもしれない。
橋を渡り切り、目的のコンビニに到着する。
とりあえずは今日の夕食と、ついでに明日の朝食分も買ってしまおうか。
「あ、先輩だ」
惣菜コーナーで何にしようかと悩んでいると、後ろから声を掛けられた。
誰かと思えば、大学の後輩の銀橋だった。
「今日はコンビニ飯ですか。珍しいすね」言いながら、肩口からひょいと買い物カゴを覗き込んでくる。
ここのコンビニは大学生御用達なので誰に会おうが別に不思議ではない。
不思議なのは、学部も年齢も所属サークルも違うのに、この銀橋がよくウチに飲みにやってくることだ。
最初は隣の部屋のヨシに連れられて来たのだったか。
それ以来、頻繁に襲来しては大量の飯と酒を飲み食いして去っていく。
こいつにとって、我が家は行きつけの居酒屋といったところか。
「そうだ、今からそっち飲みに行っていいすか?」
「今日は駄目だ」
「ありゃ」
銀橋はそれ以上しつこく言ってこなかった。
珍しく聞き分けがいい。
会計をすまして外に出ると、自転車を押した銀橋が後ろから追い付いてきた。
何やら大量に買い込んだのか、カゴの中にパンパンに膨らんだコンビニ袋が入っている。
「そんなに何買ったんだ?お前」
「酒とつまみです」
「ほー」
家には上げんぞ、という意思を込めて視線を送る。
銀橋は全く気付いていないか、そういうフリをしている。
「あ、そう言えば先輩知ってますか?先輩好みの話ですよ、これ」
銀橋が言った。
ちなみにこいつは目の前の先輩が妙な趣味を持っていることを知っている。
「そこの河原のあたりって、昔は罪人を処刑する場所だったみたいすよ」
「ほー」
別に期待はしておらず、既知の話だろうなとは思っていたが。
えらく得意そうに言うので知っていると言いそびれてしまった。
まあ、せめて最後まで聞いてやることにする。
「で、今歩いてるこの橋の名前も昔は違ってて。銀杏橋じゃなくて、ふくろう橋って名前だったらしいす。ふくろうですよ、ふくろう。ほら、面白くないすか」
「・・・・・・ほお」
「でも何でふくろうなんすかね。その辺はちょっとよく知らないんですけど。きっと、昔はこの辺りにめっちゃふくろう居て、橋の上から見物してたんすよ」
えらく自信満々に言うので、まったくお前は物知りだなぁと言いそびれてしまった。
「ふくろう橋じゃなくて、さらし橋だな」
「え、何が?さらし?」
「橋の名前。梟と書いてさらしと読むんだよ」
「え、何で。腹に巻くさらしですか?」
「さらし首の方のさらしだな。ここらの河原は昔、処刑場だったんだろ?」
「あー、はー、なるほど」
銀橋は感心したような声を上げて、「一瞬、切腹した後に腹に巻くから、さらし橋なのかと思いました」と。
何で切腹したやつの腹にさらしを巻いてやる必要があるのか。
あの一瞬でそこまで違う方向に考えられたのか。
そもそもいったい何の言い訳だ。
色々浮かんだが、突っ込みどころが多すぎて言いそびれてしまった。
「てか、先輩知ってたんすね」
「まあ」
「でも何で、梟って書いてさらしって読むんですかね」
何とも不思議そうに、銀橋が言った。
もともと梟は縁起の悪い鳥だと言われてきた。
その鳴き声や、夜に活動することも相まってイメージが悪かったのだろう。
梟にとっては迷惑な話でしかないが、そうしたイメージから、ある地域では魔よけのために梟の頭を木に突き刺しておくといった風習があったそうだ。
また害獣よけのため、梟の死骸を案山子のように畑の周りに立てていた場所もあるらしい。
「・・・・・・そういうところから、さらすって読むようになったみたいだな」
話している内に銀杏橋を渡り切り、今は銀杏の並ぶ土手を歩いていた。
「はー、なるほど」
感心するのはいいが、銀橋の住んでいるアパートは橋を渡って逆方向にある。
「あ、そういや先輩って、梟に似てますよね」
まだウチに来るつもりじゃないだろうなと言いかけたのだが、相手の言葉があまりに意味不明で言いそびれてしまった。
「・・・・・・誰が何だって」
「いや似てますって。先輩夜型だし。よく、『ほうほう』言ってるし。それにほら、先輩よくこう小首をかしげるじゃないですか。あれ、梟もよくやりますよね。何でですかね」
「記憶に無い。それにあれ首をかしげるのは、獲物との距離を測ってるんだぞ」
「先輩が?」
「梟が」
「そういう物知りな所も、梟っぽい」
言い返そうとしたが、諦めた。
「・・・・・・お前、家逆だろ」
「先輩んちが駄目なら、ヨっさんちに行こうかと思って」
銀橋の言うヨっさんとは自分と同じアパートの隣部屋に住むヨシのことだ。
銀橋とは同じ運動系のサークルに所属していて、そう言えば銀橋をウチに連れてきたのもヨシだった。
「アポ取ったのか」
「なくても大丈夫ですよ、ヨっさんですし」
そうだな、と思う。
「今日疲れてんだ。あんま騒ぐなよ」
「無理っす。酒ありますし。ヨっさんですし」
そうだな、と思う。
そのまま銀橋は本当にアパートの部屋前まで着いてきた。
「ヨっさーん」と呼ぶが返事はない。
「酒もってきましたー」と言うとすぐに中で動き出す音がした。
ガチャリとドアが開く。
「すまんすまん、今レポート終わって寝てたんだわ」
面倒くさそうなので、ヨシと鉢会う前に自分の部屋に滑り込む。
すでに夕飯の時間だったが、眠かったのでとりあえず少し寝ることにした。
そういえば、コンビニからの帰り、銀橋の相手をしていたせいで、いつもの様に橋の上から河原を眺めることをしていなかったな、と思い出す。
多くの人が見たという噂によれば、黄昏時によく無数の生首が河原の上を飛び交っているそうなのだが。残念ながら、自分はまだ見たことがない。
見てなかっただけで、飛んでいたのかもしれないな。
耳栓代わりにイヤホンをつけ、座椅子を倒して目を閉じながら、そんなことを思った。
一時間ほど眠った後、突然インターホンが鳴り、元気よくドアが叩かれ目が覚めた。
「おーい、開けろー、起きてんのは分かってんだぞー」
ヨシの声がする。面倒くさいので無視していると、玄関前の気配が消えた後、しばらくして今度は窓ガラスを叩く音がした。
見やると、開いたカーテンの向こう。
窓枠の上に赤ら顔の生首が二つ乗っかっていて、こちらを覗き込んでいる。
まるでさらし首だ。
目が合うと、奴らはにたりと笑った。