今日ここで、私が9年前から苦しめられ続けている後悔と恐怖の記憶を書かしてもらいます。
実際になにかが憑くわけではありませんが、そう記述する事で私自身の記憶の影が、ほんの少しだけ、明るくなるので・・・。
9年前の体験、それは私は某保険会社に入社し3年目に突入した矢先のでき事でした。
私は係長になり、4人の部下が居て、その中の3人(I君T君Yさん)は、一週に2回、欠かさず飲みに行くくらいの中でした。
残りの一人は、この物語には関係無いので、省略させてもらいます。
その日も、私達は4人で行き付けの居酒屋で食べた後、割り勘で支払いを済ませ、帰る途中でした。
いきなり、I君が、りんご一個がちょうど入るくらいの大きさの見るからにぼろぼろな木箱を取り出して見せました。
それは変なしかけのある箱で、以前流行ったルービックキューブのように、色(木目)がきちんと合うようにそろえると、開くと言う箱でした。
彼の言うには、父からもらったもので、ずいぶん昔のものらしいです。
なんでも、戦争前からあったそうです。
「父は開けられないし、どうせ戦後の焼け跡で拾ったものだから、と僕に譲ってくれました」と言ってました。
その箱を彼は二世代隔てた今でもいまだに開けられずにいるそうです。
僕は、その箱を見たときから、なんとなく言いようの無い悪寒を感じていました。
僕は霊感があるほうなのでしょうか。
時々、上半身と下半身のつりあいがとれてない人とか、足の足りない(もしくは無い)小動物等を見かけることがあるのです。
なので、僕は、T君とYさんがかわりばんこにその木箱の節目をずらしたり、引っ張ってみたりしているのを見ていて、なぜかひやひやしていました。
開け放ってしまうことを、僕の霊感が恐れていたんだと思います。
結局、その日はその木箱は開きませんでした。
その後、その日は全員何事も無く帰宅しました。
次の日、I君が前日私以外の2人に好評だった木箱を会社に持ってきました。
昼休みにデスクワークをしていた私の元へ、Yさん、T君を連れてやってきました。
私は、その途端、付き合いが悪いと思われるのを覚悟で、彼らに忠告しました。
「その箱は、開けないほうがいいと思う」と。
彼は、いぶかしげな顔をしながら、僕に、「兄と同じことを言うんですね」と返しながらも、得意げに、「きっと近いうちに開けて見せますよ」と言って、デスクワークをしている私に気を使い、それきり昼休みは話しませんでした。
そしてその日の仕事が終わった後、4人で、花見をしようと言うことになりました。
近くの公園でYさんのお母さんの差し入れで、筑紫のお吸い物をすすりながら、桜を堪能していました。
そんなときに、T君が、「この素晴らしい風景を、四人一緒に写真に収めておこう!」と言って、ポラロイドカメラを出し、それでひときわ幹の太い立派な桜をバックに写真を撮りました。
見事な写真が撮れました。
でも、変なのです。
夜だから、光が入る心配も無し、開けた場所だから、フラッシュが反射して変色する心配も無いんですけど・・・。
写真が、なんとなく薄い赤色を全体的に帯びているのです。
T君は、こういうこともあるさ、と言って、もう一回全員で写真を撮りました。
しかし、またも、同じ現象が起こったのです。
T君は、「広い範囲で撮るから、余計なものが入るのかもしれない。
フィルムに余裕はあるし、一人ずつ撮ろう」と言って、私、Yさん、I君、T君の順番で撮ることになりました。
まず、私の撮影です。
コレはうまく行きました。
つぎのYさん、うまく行きました。
問題はそのつぎのI君でした。
1度目で撮れた写真は、さっき撮ったのより、なんとなく赤みが強くなっているようにみえる写真でした。
そこでもう一回。
今度は、なんだかI君の周りに、赤ではなく、黄色に近い色の薄いビニールのようなものが、なんとなく移っている写真でした。
気味悪がりながらも、Iくんは、もう一回撮るようにT君にお願いしました。
そして出てきた写真を見て、T君は、「なんだあ、なんか変だ!」といって、私達のほうに駆け寄ってきてその写真を見せました。
その内容は、かなり凄惨なもので、I君の手や顔はほとんど隠されるほどに数え切れないほどの黄色い手がI君の体に四方八方から絡んできて、さらにI君の体の黄色の手に絡まれていない部分(下半身)も鮮烈な赤色に染まっていました。
I君は、これを見せられた後、一つの事実を告白しました。
その内容は、次のようなものでした。
「今日、昼休みの後、印刷室で、コピー気を回してる間、木箱を弄っていたら、ついに木箱があいたんですよ。だけど、中からは、ぼろぼろの布袋が出てきて、それに、「天皇ノタメ名誉の死ヲタタエテ」
って書いてました。
開けてみたら、大量に爪と髪の毛の束が出てきて、不気味だから、焼却炉に捨ててしまいました」
私達は、すぐに、それをお寺に持っていって、その話をして、写真を供養してもらえるように頼んだんですけど、お寺の住職さんは、「あなたのしたことは、とても危険なことです。あなたがたの持ってきたその写真を供養しても、霊の怒りは静まりません。その木箱を持っていらっしゃい。それを供養してあげれば、中に閉じ込められていた魂も救われます。ぜひ持ってきてください」
と言って、寺の住職は、ひとまず今日は帰るように促しました。
しかし、結局、I君と会うのは、その日が最後になりました。
次の日の朝、I君が、昨日の帰宅途中、自宅近くで自動車に衝突され、胴体が切断され、下半身は、炎上する車のタイヤに巻き込まれたままいっしょに焼け焦げ、上半身は、そこから20メートルくらい離れたところにあり、即死だったとのことです。
その日、私とT君とYさんは、彼の母親から、木箱を譲ってもらい、それを寺の住職さんのところに持っていきました。
しかし、寺の住職産は、「この箱は怨念そのものです。それも、もはや人のものではなくなっています。この霊たちの怒りを静めるのは難しいです。供養して差し上げたいですが、時間がかかります。それでもよろしいですか?」と言いました。
I君が、たったの半日で命を落としたのを見ている私達は、それでは行けないと思い、自分達で読経を覚えることにしました。
その年の12月、私達が霊の恐怖を忘れかけていた頃になって、Yさんが火事で亡くなりました。
発火の原因は、ストーブの不完全燃焼だったらしいです。
残された私とT君は、気味が悪くなり、会社に、転勤を希望しました。
事が起きたこの地を離れれば、霊たちも、私達のことを追って来れないのではないか、と思ったからです。
考えたくありませんが、すでにどちらかが憑かれている可能性もあるので、お互いの了解で、別々の場所に転勤させてもらうことにしました。
しかし、その考えは甘かったと、あとから思い知らされることになしました。
それから9年が経過しました。
まさに悪夢のような9年間でした。
T君は、転勤後、2年目にして結婚。
その後、一人目の子供が、生まれて半月で肺炎で亡くなり、二人目の子供も、流産で亡くなりました。
それと同じに、二度にわたる流産でT君の妻も体を悪くし、死に至る重い病気をわずらいました。
そして、6年目の秋に、亡くなったといいます。
T君も、精神的に参っていたのでしょう、翌年の春に、会社の屋上から飛び降りをしてしまいました。
それから2年がたち、現在に至ります。
このごろになって、頻繁に、激しい動悸に見まわれるようになりました。
さらに、夢に、先に逝った3人が出てくることも度々ありました。
私はこの先どうなるのか、わかりません。
今の持病の動悸も、恐怖によるストレスからくる一時的なものでありたい、と思います。
が、私を除いた3人がすでに他界してしまっていることから、私ももう、長くないかもしれません。
この長く読みづらい素人文書を最後まで読んでくださった人は、私に憑いている霊を鎮める手助けをすると思って、手を合わせて簡単な読経をお願いしたいと思います。
「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」と。