岩手・宮城に跨る大籠地区は日本有数の隠れキリシタンの里である。
大籠地区には、かつて砂鉄を原料としたタタラ製鉄で炯屋(どうや)が数多くあった。
永禄元年(1558年)、技術者として千松兄弟を吉備の国から呼び寄せたが、実はこの千松兄弟がキリシタンであったのだという。
これ以後、さらに炯屋が増えるとともに、人々の間に着々とキリスト教が広まっていった。
しかしその後、徳川幕府がキリスト教の禁教を命じた結果、この地で実に300余人が殉教したという。
当時日本屈指の大大名であった伊達藩領内だからなのか、弾圧は徹底的であり、また凄惨なものであった。
この地が、島原・天草に代表される他の隠れキリシタンの里と違うのはその処刑場跡の多いことである。
この地区の中だけで刑場跡は十数箇所もあり、そのいずれにも供養のために地蔵が建てられている。
不思議なことに、処刑場の地蔵の首は何度付け替えても繰り返し落ちるのだそうであるついには諦めて首がなくなったまま放置された地蔵も多いが、そんな場所がのどかな農道の傍らにゴロゴロある光景は筆舌に尽くしがたく異様で不気味である。
また、この刑場跡は、やはりというかかつては亡霊に悩まされ、夜な夜な男女の悲鳴が聞こえてきて一睡もできぬ有様だったという。
俺もここに一度行ったが、あの時が止まったような、異界としか表現できない雰囲気は体験してみなければわからぬ。
異世界度は個人的には同じ岩手県内にあるかの慰霊の森すら遥かに凌ぐ。