少し長くなりますが、私の体験した怖い話をさせて下さい。
私はとある地方の国立大学の職員です。
国立大学は数年前に独立行政法人となりましたが、職員の身分は「準公務員」というもので、基本的には国家公務員とほぼ同じ待遇になっています。
国家公務員は何かと叩かれてはいますが、基本的に給料はそれほど高くはなく、大学の同期の中でも最低レベルです。
その代わりある程度の安定があるのと、福利厚生が充実している点が良い点でしょうか。
公務員の持つ特権的なものの一つに「官舎」というものがあります。
とは言っても、霞ヶ関や永田町におつとめの偉い方々とは違って、利点は家賃が安いという一点だけです。
私はまだ独身ですので、独身者のための建屋の1階の部屋を借りて住んでいます。
法人化に伴い、名目は「官舎」ではなくなったのですが、家賃はあり得ないほど安いままです。
官舎の多くと同様、物凄く古い建物で、サッシは鉄製、冬などは窓を閉めていても冷たい風が吹き込みます。
間取りは六畳間、四畳半と三畳間であり、和式便所とちっぽけな風呂場があります。
私はその六畳間と四畳半の仕切りのふすまを開けっ放しにして十畳半の部屋として使っており、四畳半の部屋に高さ1メートル強程度のパイプベッドを置き、その上で寝ています。
ベッドの下は収納スペースです。
寝転がると天井までは80センチ程度でしょうか。
仕事を終えて帰宅し、冬場はチョロチョロとしかお湯のでないシャワー(夏場は比較的十分出ます)を浴びると、私はそのパイプベッドに横になり、枕元に取り付けたランプをつけてしばらく下らない小説などを読んでから寝るのが習慣になっていました。
ある日、いつものようにベッドに横になって本を読もうとした私は、手にしている本の向こうに見えている風景のなかに何かの違和感を感じました。
本を置き、天井の明かりをつけてよく見てみると、白い天井の片隅、私の頭がある方向とは逆の隅あたりに、ぼんやりとしたシミがついており、それは何か人の顔のように見えました。
しかし理系の出身である私は「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の言葉の意味を十分理解しており、「このような何の意味もないシミなどの要因が、脳の認知機構のエラーによって幽霊話などを作り出すものだ」などと考え、特に気にせずに再び本を読み始めました。
数日はそのまま気にも留めていなかったのですが、十日前後経ったある夜、やはり何かおかしい気がして例のシミをよく見てみると、明らかにシミが強くなっていることに気づきました。
しかも、もはやそれが人間の顔であることは疑いようもなくなりました。
ディテールこそはっきりとしないものの、それは間違いようがなく目を閉じた中年男性のあごから上を示しています。
全身の毛が逆立つような恐怖を憶えた私は、その夜その部屋では一睡もできずに朝を迎えました。
翌日、私は大学の施設部にそのことを伝えました。
しかし、なんだか要領を得ない返事とともに、「安い金で住居を与えてもらっておいて、それに下らないケチをつけるとは何事だ」というような文句を言われるばかりで、相手にしてもらえません。
私は怒りを覚えつつも、このような話を信じてもらうのはきわめて難しいことを悟りました。
たとえその人を私の家に連れて行ってそれを見せたとしても、頭のおかしないたずらとでも思われることでしょう。
私は即座に引っ越しを決意しました。
大学の近くにある不動産屋に駆け込んで探してもらうと、ちょうど最近空きが出たアパートがあるとのことで、その日のうちに見に行き、契約を行いました。
何がなんでも即座に引っ越したいという私の要望を大家さんは聞き入れてくださり、一両日中に引っ越し作業を行うことになりました。
その夜は、その部屋で寝るなんてことは私には不可能ですから、駅前のビジネスホテルに泊まりました。
地元の引っ越し業者にも無理を言ったかいがあって、翌日には引っ越し作業を行うことができました。
業者の若い方二人と一緒に二度と戻りたくなかったその部屋に再び入り、できるだけ天井のシミは見ないようにして、決して多くはない私の荷物を3時間程度で運び出し、最後に天井に目を向けました。
シミ、というよりそれはもう顔の写真のようになりつつあり、それはますますはっきりとしており、唇の赤黒さすら分かる状態になっていました。
そして、閉じていた目はうっすらと開こうとしていました・・・。
私は二度とその部屋には近づくまいと考え、以前より狭くなった新しい住居(こちらも古いことには変わりはありませんでした)と大学を往復して暮らしていましたが、そのうち私の中で、あのシミがその後どうなっているのかをどうしても確かめたい気持ちが強くわき上がってきました。
新しい住居から大学へ向かうもっとも近い道を少しだけ迂回すると例の官舎があり、通り過ぎながら例の部屋をのぞき見ることができます。
4日ほど前、ついに誘惑に勝てなくなった私は、出勤の途中でその道を通り抜けました。
道路からのぞきこんだ天井には、もはやシミではなく人間の顔面がありました。
細かいところは分かりませんが、目は完全に見開いており、しかも気のせいか、天井からその部分がふくらんでいるように見えます。
それ以上見ていることは私には不可能であり、気持ちの悪い汗をかき、全身の鳥肌を立てながら、そそくさとその場を去りました。
もう二度と来ないつもりでした。
そして昨日のこと。
日曜日といっても特にすることのない私は、ぶらぶらと大学へ出かけ、ちょっとした細かい仕事などを片付けていました。
そのうち、心の中にまたあの悪い欲求がわきだし、再び私はその場所へ向かってしまいました。
・・・天井の顔は完全に跡形もなくなっていて、天井はもとの白い姿に戻っていました。
二週間以上をかけてわき出してきたあの顔が3日にしてどのようにして消えたのか、私には分かりません。
しかし、気になったことがあります。
退去する際、きちんと閉めてあったはずの押し入れが30センチ程度空いていたのです。
そこで起こっている”何か”はまだ終わってなどいない・・・ということを、私ははっきりと認識しました。
次にそこに入居する人間が何を見るのか、私には分かりません。
私はもっとも伝えるべき相手であろう施設部の人間に話はしました。
これ以上の責任は彼にあります。
私はこの件についてもう関わることはないでしょう。
新しい部屋の天井には、今のところシミ一つありません。
以上です。
長くなりましてすみませんでした。