私の家の菩提寺(檀那寺)では、お盆の終わり頃(8/15前後)の早朝に、浜辺で護摩を焚くという風習がある。
私が高校2年生の時、家族を代表してその護摩焚きに参加した。
まだ夜の明けきらない朝の5時。
浜辺に着くと、既に和尚さんと数人の檀家さんが手を合わせながらお経を上げていた。
私も護摩壇の前にお供え物をして、手を合わせた。
抑揚のない読経と一定のリズムを刻む木魚、優しい愛撫のような波の音、そして不思議と心落ち着く護摩木の爆ぜる音・・・。
まだ暗い中でそれらに耳を傾けているうち、眠気も手伝って、私はポゥーっと気持ち良くなってしまった。
いわゆる”トランス状態”に陥ったのだと思う。
東の空が白み始めて、水平線の彼方から太陽が顔を覗かせたその時、呻き声が聞こえた。
周辺を見渡すと、薄暗い波間に人影が浮んでいた。
「いいなぁ、あったかいなぁ。あぁ、あったかいなぁぁ・・・・・・」
うらやましそうな声を上げている。
あの人は誰だぁ?
私はぼんやりとした頭のまま、波打ち際までフラフラと歩み出た。
すっかり気持ち良くなっていて、何の警戒心も湧いてこなかった。
突然、後ろから肩をグイッと掴まれる。
その衝動で我に返った。
振り返ると、檀家さんのひとりがいた。
檀家さん:「引きずり込まれるから、後ろに下がりなさい・・・・・・」
強面でそう凄まれ、私は言われるままに後ろに下がった。
和尚さんの読経の声が、まるで誰かを叱りつけるように激しく厳しくなった。
そして『鈴(れい)』というハンドベルのような仏具を何度も何度も振り下ろして、耳をつんざくような高音を周囲に響かせる。
「あぁ、あったかいなぁぁ・・・・・・あったまりたいなぁぁ・・・・・・」
太陽が昇っていくに連れて周辺は明るくなり、逆光ながら人影の正体が表れた。
それは、人の腐乱死体だった・・・。
体じゅうの皮膚は爛れていて、あっちこっちについばまれた跡がある。
頭髪も、少しまだらに残して粗方抜け落ちてしまっていた。
そして右脇腹には、鋭い刃でえぐり取られたかのような大きな裂傷があった。
脇腹からヘソの辺りまで体の半分がザックリと斬れていて、思わず目を背けてしまうほど禍々しかった。
太陽が水平線から昇りきると、腐乱死体の影が徐々に薄くなっていく。
「あぁ、あったかぁい・・・・・・うれしいよぉ・・・・・・ありがたいよぉ・・・・・」
そう言い残して、腐乱死体は消えてしまった。
和尚さんが読経を終えて、私たち檀家に一礼する。
和尚さん:「えぇー、皆様、朝早くからご苦労さまでした。もうお気付きだとは思いますが、今年の春ごろ、この海で水難事故に遭われた方がいらっしゃいまして、その方の初盆になります。そのため、今年は特に渾身渾霊をこめまして、お経を上げさせていただきました」
場は散会となり、私に注意してくれた方が「さっきは驚かせてしまって、済まなかったねぇ」と声をかけてくれた。
私は恐縮してしまった。
檀家さん:「俺も初めて実物を見たんだが、海で死亡事故があった年の盆には、死んだ奴が迷い出てくるって話なんだわ。何でも、人肌の温もり恋しさに他の誰かを海へ引きずり込もうとするらしくてなぁ・・・・・・」
私はその方に篤くお礼を言って、その場を辞した。