この町を離れて随分になる知人から、帰ってきたので会おうという連絡があった。
彼とはそれ程親しい訳ではなかったので、何故私に連絡してきたのか不思議だったし、むしろ会いたくはなかった。
最後に彼を見たのが高校の卒業式だったので、23年振りということになる。
彼とは高校1年の時に同じクラスだった。
その当時、彼は一人暮らしをしており、天涯孤独で親の残した僅かな遺産で生活をしている、高校は何とかなるが大学は無理なので卒業したら就職するつもりだと言っていた。
彼は立派な体格と押しの強い性格を持ち、あまり他人から好かれる方ではなかった。
私自身、心の中では彼のことを、下衆野郎、と呼んでいた。
そんな彼でも、異性を引き付ける魅力はあったようで、高校3年間は決まった女性と交際していた。
この交際相手は高校卒業と同時に失踪した。
色々な噂が立ったし、警察も動いていたが、私には興味がなかった。
彼は高校卒業後2年ほど町にいたが、その後東京へ行ったと聞いた。
彼から最初の連絡があった時、咄嗟には誰だか判らなかった。
真っ先に記憶の底から浮かんできたのは、下衆野郎という私がつけた呼び名だった。
その時は断ったが何度か連絡を受け、強引な誘いを断りきれず、駅前の居酒屋で会う約束をした。
私がその居酒屋へ行ってみると、彼は先に来てウィスキーをロックで飲んでいた。
昔どおりの体格に少々趣味の悪いスーツを着ており、頑丈そうな金時計をした手を挙げて、「よう」と言った。
私が席に着くと、そこから彼の出世自慢が始まった。
この町を出てから、高卒の自分が東京で商事会社を興すまでにした苦労、その話をしながら、酒を飲むペースも落とさない。
私はといえば相槌をうつだけで、彼のペースに巻き込まれ、強くもないのに飲み過ぎてしまった。
そろそろ意識も危うくなってきた私を、彼は3つ先の駅前にあるホテルへ連れて行った。
そうか、帰ってきたといっても、彼にはこの町に実家なんてないんだからな、とぼんやりした意識の中で思った。
彼は随分と広い部屋に泊まっており、窓際に私を座らせると、自分も向かいに座り、今度はワインを飲み始めた。
彼は相変わらず何かをまくし立てていたが、私は少し眠りかけていたようだ。
突然、体が震えだした。
さっきまでは、酔いのせいで体が火照っていたというのに。
同時に意識が妙に冴えてきた。
彼の後ろに誰かが立っている。
見覚えがあるぞ、あれは高校の制服だ。
それは女性で、胸のところに何かを抱いている。
赤ん坊のように見えた。
その女性が、彼が高校時代に交際していた女性だとはっきり判った。
私の顔面は蒼白だったに違いない。
彼はといえば、私の様子が変わったことにはお構いなく、出世自慢を続けている。
私は心の中で叫んでいた。
「私にさえ見えているんだぞ。何の縁もない私にさえ。」
私は幽霊にではなく、彼に恐怖を感じた。
もつれる足で部屋を飛び出し、ホテルを飛び出し、タクシーに乗った。
翌日は酷い二日酔いで何も出来ず、一晩ぐっすりと休み、今これを書いている。
彼は今後も、恐らくは自身が手にかけたのであろう母子の魂を見ることなく生きていくのだろうか。
私に会おうと連絡をしてきた理由は判らず終いだったが、もしかしたら、自分は過去に過ちを犯したが、現在は一生懸命生きているんだということを誰でも良いから認めて欲しいと思ってのことかもしれない。
もしそうなら、彼はやはり下衆野郎だ。
せめていつの日にか、彼が母子の魂と向き合う気持ちになってくれることを祈るばかりだ。