与那国島の海底遺跡

カテゴリー「不思議体験」

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与那国島海底地形は、沖縄県八重山諸島与那国島南部の新川鼻沖の海底で発見された海底地形である。
人工的に加工されたとも考えられる巨石群からなることから、海底遺跡と考える説もあり、この立場からは与那国海底遺跡、与那国島海底遺跡とも呼ばれる。

1986年に、ダイバーによって島の南側海底に巨大な一枚岩が発見された。
「一枚岩」は周囲数百メートルに及ぶ巨大なもので、人工的に切り出したような跡や、人がちょうど歩くことができそうな通路状の隙間、階段状の壁、柱が立っていたと思わせる穴など、人が加工しなければできないかのように思われる形状を備えていたため、遺跡ではないかと報道された。

【遺跡説】
道路、石組み、敷石、排水溝などと推定される地形、巨石の組み合わせが存在する。
クサビを打ち込んだような20cm-30cm間隔で並ぶ竪穴跡があり、侵食で形成される形ではない。

周囲を壁面で囲まれた平面が形成されているが、通常の侵食ではそのような地形はできない。
テラス状の地形は、左右対称であり、加工跡をともなっている。

垂直壁面が自然崩落で形成された場合、壁面の直下に岩石片が堆積していなければならないが壁面の直下に岩石片の堆積がない。

【古代文明遺跡説】
かつて古代文明がこの地に存在し、何かに使用した建物であるとする説。

「遺跡」であれば、水没したのは動植物の分布や鍾乳石から、前回の氷河期が終わって海面が上昇したときであるとの説があり、これが事実ならば、1万年以上前の世界最古の古代遺跡ということになる。
また、発見者である新嵩喜八郎主催の与那国海底遺跡博物館のウェブサイトでも、約1万年前に海面上昇により水没したことがはっきりしてきたと主張されている。

【石切り場説】
古代文明遺跡説に対して、施設を作るために石を切り出す場所であったとする説。
この説によれば、階段状に直角に切り出されている部分は説明がつくが、切り出した石の行方が説明できない、という主張がある。

【中世遺跡説】
古代文明遺跡説に対して、比較的新しい時代の遺跡とする説。

2005年から2006年にかけて、遺跡の全貌の把握ならびに年代特定のために、琉球大学主催で本格調査が実施された。
そして、採集した遺跡のサンプルから年代の特定が行われた結果、遺跡が水没した年代は、10世紀後半から11世紀前半にかけての時代であることが判明したと主張されている。
これが事実であれば、1万年以上前の古代遺跡とする説は否定され、古代文明も存在しなかったことになる。

しかしながら、琉球史では、遺跡が水没したとされる時代の資料が非常に少なく、南西諸島における地殻変動の記録も未だ見つかっていないため、結論は出せない状況である。

【侵食説】
岩が侵食されてできた自然地形であるとする説で、その理由は以下のものである。

この岩はもともと侵食されやすい種類のものであり、垂直や水平の階段状の部分は、マグマの冷却時に規則的な亀裂が発生し、それに沿って岩石が侵食される「方状節理」という現象で説明できる。
階段状部分の高さがまちまちであり、高いところでは1段につき1m以上もあることなどからも、人工の構造物ではなく節理による自然地形とする見方が裏付けられる。
穴はへこんだ部分に石が入り込み、潮流によって回され、周りの石材を削りだしたもの(ポットホール)で、河川ではよく見られる光景と同じである。

また、地上にあった遺跡が海没したとする場合、一定期間(数百-数千年間)波打ち際で波による侵食を受けたと考えられるが、そのような痕跡は見られない、また、下記のように「遺跡」が、実は地層に沿ってかなり傾いて存在していることが、人工物としては不自然でもある。

地形が「人工物のように見える」という以外に古代文明があった証拠が希薄であること。

そもそも「遺跡」は東南方向に10-15度傾いており、これは二百万年以上前に形成された八重山断層群に沿った傾斜で、作った後に傾いたものでもなく、また施設として考えた場合に実用性が疑わしい。

そもそも人の手が加わった証拠が全く見つかっていない。

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