私たち家族は京都に住むものですが、祖母は奥多摩の方から嫁いできた人で、独特の口調で妖怪の話などを語ってくれます。
子供の頃の我々兄弟はそれが大好きで、母の実家に泊まる時には、必ず祖母の部屋で寝ていました。
牛鬼、大入道、ぬらりひょんなどの妖怪奇譚はどれも見てきたかのように真に迫っていて、水木しげるの妖怪大百科ですら、我々兄弟にとっては祖母の語りに遠く及ばないものでした。
そして祖母にはほんとうに身近に、妖怪がいたのではないか?と今でも思う出来事がいくつかあります。
これはそのうちの一つ。
祖母のことを私たちは「ヒガシのばあちゃん」と呼んでいました。
理由は住んでいる土地名などからですが、省略します。
ヒガシのばあちゃんの決まりは、夕方五時より遅くは妖怪の話をしないこと。
でないと私たちが風呂やトイレに一人で行けなくなるからです。
ちょうど12月頃の冬、その日は語りの調子が良かったのか気がつくと時計はとっくに五時を過ぎており、続きは明日と話も唐突に終わりました。
最後まで聞きたいと言ってもダメで、夕飯にも呼ばれたので仕方なく居間に。
食後、その時分には珍しかった電気毛布の温もりを楽しみに、ヒガシのばあちゃんの部屋へ戻りました。
部屋に入ってすぐ、我々は立ち尽くして障子をじっと見てしまいました。
貼られた和紙のほとんどがオレンジ色にぼんやり光っている。
全てではありませんが丸いオレンジ色の光が行儀よく格子に一つずつ入っている。
「あれはなに?」と聞いても、「なんかいるかい?」と言われてしまう。
しかし明らかに異様な光景ですからやはり目がいく。
祖母:「可愛い子がいるねって見に来たんだわ」
そう言ってヒガシのばあちゃんは私たちを寝かせようとしましたが、弟が「動く」と言って障子の一点を指差しました。
たしかに、弟が言ったそれだけでなく、ほとんどの光が眼球がそうするように不規則に蠢いているように見える。
私は庭に続く障子を今開けると外に何がいるのか?光の正体はなんなのだろう?と気になっていましたが、ヒガシのばあちゃんは私たちをそばに寄せて、格子を一つずつ、京都の道の数え歌で数え始めました。
てらごこふやとみ・・。
まるたけえびすにおしおいけ・・・じゅうじょうとうじでとどめさす。
最後まで歌ってヒガシのばあちゃんは堀川五条の交差点から上に四つを順に指差し、「四つ指で突いてやれ」と笑いました。
障子を突くとは大変魅力的。
弟と私は二つずつ、人差し指で穴を開けました。
あの心地よいポスッという感触に続いて、四つを突き終わった時に「おお、あはは」と太い男の声が笑いました。
弟はその時、「あい参った」と笑うような調子の声が聞こえたと言います。
障子の光はさっぱり消えていました。
開けて見ても何もいませんでしたが、その時はなんとなく見ていて、今思い返すに意味深な光景が・・・。
亡き祖父が使っていた埃を被った囲碁の台に、碁石が散らかっていたのです。
ヒガシのばあちゃんは囲碁はしませんが、祖父は腕利きだったと聞きます。
詰将棋のようなものを挑まれたのでしょうか。
今思うとアレ、有名な目目連ではないかと勝手に思っております。
そして、子供向けに五目並べになっていたのではと・・・。
伝承のように目は取られてませんし、なんなら私たち兄弟は未だに両目2.0。
負けるとなにかあったのかな、とも思いますが、なにか楽しげな存在だったと記憶しております。
ちなみに、ヒガシのばあちゃんは、たしかに五目並べは強かったそうです。
母親の談。
おしまいです。