とある知人から聞いた話。
彼女の実家には、古くから伝わる重箱があったという。
母も祖母も「昔からある」と言い、由来はわからない。
お正月のおせちを詰めるためにしか使われることはなかったが、蓋と側面に牡丹の花が描かれたその重箱はとても美しく、毎年楽しみだったという。
ただこの重箱、一つ大きな欠点があった。
詰めた料理の減りが、妙に早いのだ。
朝食べたおせちの残りを昼に出すと、「あれ、こんなに減ってたっけ?」ということがしょっちゅうあったという。
極め付けは、彼女が中学生の時に起きた『伊達巻事件』だ。
彼女は伊達巻が大好物だったため、その年も一切れだけ残った伊達巻を、家族の了承を得た上で余分にいただくことになった。
一気に食べるのはもったいないからと重箱の中に残して、次の食事を待ったそうだ。
ところが、満を辞して重箱の蓋を開けると、残しておいたはずの伊達巻がない。
彼女は犯人を姉と決めつけ攻め立てたため、正月早々大げんかになった。
結局二人とも父親から雷を落とされ、お年玉を没取された挙句、母親からは「喧嘩のタネになるなら、もう二度と伊達巻は出さない」と宣言されてしまったそうだ。
松の内が終わる頃、母親は二人にお年玉を返しながら言った。
母:「喧嘩は良くないけど、あの伊達巻を食べたのは、多分お姉ちゃんでも誰でもなくて、あの重箱だと思う。おばあちゃんがアレを大事にしてる手前言えなかったけど、お母さんはお嫁に来たときから、あの重箱が気味が悪かったの。だって確実に中身が減ってるし、毎年開けるとき、中に何かいる気配がするんだもの」
次の年、おせちにはちゃんと伊達巻が入っていて彼女はホッとしたそうだが、その代わりのようにあの重箱は使われなかった。
祖母が入院したのを機に、母親は重箱との決別を決意したようだった。
しかし流石に捨てるのは気が引けたようで、美しい重箱は台所の水屋の片隅にまるで封印されるかのようにひっそりと保管され、以後使われることはなくなったのだった。
知人:「災難だったなあ」
私は苦笑しながら彼女にそう言った。
私:「ところで、その重箱は今もあるの?」
私の問いに、彼女はふふふと笑った。
知人:「実は、結婚を機に実家からもらってきたの。母は渋ってたけど、今はうちで毎年おせちを詰めてるのよ」
私:「え。もう中身がなくなったりはしないわけ?」
知人:「やっぱりね、毎年あれ?って思うことはあるんだけど。でもそれだけだし、あれ気に入ってるし、伊達巻はいつもいつも飽きるほど入れてるから、大丈夫」
私は、そういう問題かと内心突っ込んだのだが、彼女はあっけらかんと笑うので、きっとそれでいいのだろうと思う。
今年もきっと、その重箱は彼女の家で年に一度のご馳走にありついたことだろう。