雨の日に必ず帰ってくる父

カテゴリー「不思議体験」

石じじいの話です。

自動車を八千円で手に入れたじじいは、いろいろな人を乗せてあげていました。
じじいは親切な人間でした。
わたしもよく乗せてもらいました。
こわかったけど。

雨の中、車で走っていると、遍路巡礼姿のかなり年のいった老人が、道端の地蔵堂で休んでいたそうです。

雨が止みそうになかったので、声をかけて車に乗せてあげました。

その老人曰く、お四国を回って結願して自分の家に帰るところだ、と。

彼の言う自宅はそこから遠くはなかったので、家まで送っていこうかと尋ねると、是非お願いしたい、ということでした。

「お遍路さんには、歩いて回ることが大事なんじゃゆうて、車に乗せてもらうんを辞退される人もおるんで」

彼の家に着くと、家の人が出てきて礼を言い、じじいを家の中によび入れて、お茶と食べ物でもてなしてくれました。

久しぶりに帰ってきた老主人である、その老人に家の人々が関心を示さないのが奇異な感じでした。

帰ってきた老人は縁側に座って、そこの若主人(といっても中年)と話をしているようでした。

久しぶりの対面なのに声も聞こえないので、「ひそひそ話か?何か訳があるのか?」と思ったそうです。

話をしていた若主人が、縁側からお盆にのった湯のみとお菓子を持って、じじいのいる部屋に戻ってきたので、「おとうさんは、えろう苦労なさったのう、部屋で休みよんなはるかな」と尋ねたところ、その初老の男性は少し困ったような顔をして言いました。

父は、おそらく三十年以上前に死んでいる。

その主人が言うには、父親は、家庭内の不和が原因で出奔した。
それから一年ほどたって、父は遍路の姿で戻ってきた。

しかし、家に入れて目を離したすきにいなくなった。

「またすぐに家出か!」と思い探したが姿はみえなかった。
捜索願を出しても、見つからなかった。

それから数年後に父親が再び帰ってきた。
またいなくならないように、今度は見張っていたがいつのまにかいなくなった。

それから、数年後にまた戻ってきた。
そこで、これは生きた人間ではないと覚悟して、それからは帰ってくる父親をただ迎えるだけとなった。

父はかならず雨の日に戻ってくる。
それに、普通に齢を重ねている。

出奔した時のままの姿ではなく、相応に加齢している。
その主人は不安そうに付け足したそうです。

これからもまた帰ってきて、それが続くと、父はどうなるのだろう?
不死なのであろうか?
と。

「供養しなさったか?」
「した。しかし、その効果(?)は無い」ということでした。

今読み返してみると、繰り返し「帰ってくる」この老人、本当に死んでいたのでしょうか?

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