新撰組VS相撲取り。
酔っぱらった新撰組と相撲取りの集団が町でばったり遭遇。
互いに道を譲れ、譲らないと口論になり、当時の局長芹沢鴨が相撲取りを峰打ちですっ飛ばす。
そこで一度別れた両者でしたが、怒った力士たちは仲間50人以上を引き連れ新撰組がいる遊郭に突入。
しかし相手は新撰組、力士たちをバッタバッタです(しかも大小は無く、脇差だけで)新撰組無傷、力士たちはボロボロにされてしまいます。
1人は腕を切り落とされ、一人は足をすっ飛ばされ、中でも関取熊川熊吾郎は重傷を負い、その時の傷が原因で亡くなってしまいます。
相撲取りたちは奉行所に関取が殺されてしまったと訴えようとしましたが、事の次第を先に聞いていた近藤勇は、武士に対して庶民が道を譲らぬという不届きを行い、さらには復讐しに徒党を組んで現れたと、相撲取りよりも先に奉行所に訴え出ていました。
訴えられた立場、さらには相手が一応は武士、相撲部屋の親方は逆に詫びを入れさせられてしまいました。
しかも相撲取りたちが復讐する可能性があるため、もしも道でばったり相撲取りと新撰組隊士がであった場合、斬り殺しても文句言うなよという覚書まで書かされてしまいましたとさ。